俺的カイセシ・ゴルカイSS

 

「あてにしてるぜカイン。」
「任せておけ…!」
 そう言い、言い返す俺達があまりに昔と変わらなくて、ああ、俺は戻れないなと、不意にそんな事を思った。


 数少ない休憩地点でパーティが身体を休めるときは、大概この男はああして一人一目に付かない場所で遠くを見ている。
 眠れない体質だということは知っているからさして身を案じるという事もしていないのだが、恐らく頭痛に苛まれる事が無くなったであろう今でもそれは変わらないんだなと思うと、一抹の物悲しさがよぎる気がする。
「如何した、カイン。」
 …そう長い時間は見ていない。距離も位置も視界も到底気がつくような位置関係じゃないのに、この男には関係ないらしいな。見つかったのなら別に逃げるような事も無い。無いとようやく思えるようになった。
 俺はゴルベーザの横に立ち答える。ゴルベーザは遠くを見たまま、俺に顔は向けなかった。
「どうってこともない。あんたと同じ…とは言わないが、俺も山暮らしで眠りが浅くなってな。」
 不思議なものだが一人で生きていると周囲を警戒するせいか、物音一つですぐ目が覚めるようになる。こうして久方ぶりに大所帯で移動をしていると、どうも落ち着いて眠れないらしい。
「ここに来る事も有るまい。」
「別に意図した訳じゃない。偶然だ。」
 …多分。
「必要以上に私に近づかぬ方が良いぞ。」
 こちらを一瞥だけして、ゴルベーザはそう言う。
「止せよ。今更あんたをどうこう思ってるヤツなんて、少なくともここに居る連中の中にはいないさ。」
 それは事実だ。ローザより、セオドアより、多分俺よりもずっとセシルに情を傾け、全てを覚悟の上命さえ捨てるつもりであいつを救いにきていたのだという事は、今はもう全員、痛い程よく理解している。
「今は良いかもしれんがな。何れお前はバロンに戻る身だ。不都合が出るぞ。」
「あんたらしい発想だな。」
 そんな周囲の思いなど全く理解していない癖に腹立たしい程に先を見据える。負ける気など更々ないというわけだ。
 だがそんな事は差し引いて、俺の中にはあいつの言葉が一つ陰りを落としていた。

―あてにしてる―

「……迷っている。」
 余程に意外だったのかゴルベーザは、俺の前では滅多に見せなかった驚きを含んだ目で、ようやくこちらに顔を向けた。
「…未だ懸念が在るのか。」
 静かに問われた。そして俺も静かに返す。
「いや、そうじゃない。そうじゃないんだが、この間セシルと話して判ってな。」
 多分俺は。
「俺は…あいつを『王』としては、どうしたって見られないらしい。」

 余りに、変わらなかったから。いや、変わりはした。王として過ごした十余年、あいつはあいつなりに在るべき姿を掴み、体現していた。努力家で思いやりの塊みたいなセシルらしい姿だった。だけど、それは。
「…相変わらず、虚勢だったな。」
 無理をして、作っている。昔と同じ。
 ゴルベーザは黙っていた。続けろ、の意と勝手に解釈して、俺は先を続ける。
「言いたい事が言えずに飲み込む。甘えたい癖に甘えられずに手を引く。誰かの為の誰かの理想である為に、本当の自分を抑え続ける。何も変わっちゃいない。その癖…俺の事は対等だと思っていやがる。」
 一皮剥けば、只の『セシル』だった。それが判ってしまった。そして変わらぬあいつが、あいつと俺との関係が…嬉しかった。だから。
「十余年あそこで過ごして判ったよ。俺はそもそも騎士向きじゃないんだ。陛下の為に槍を振るっていたのは、多分父がそうしていたからだ。父が仕えた人物に 己も仕えるべきだと、それが騎士道だとそう刷り込まれていただけに過ぎないんだ。」
 本当は忠誠なんて誓っちゃいなかった。セシルに無条件に敬愛されるあの人が、どこかで妬ましく思えて仕方なかった。だから、セシルが赤い翼の罷免を言い渡された時、俺は何の躊躇いもなくあいつを擁護出来た。セシルの方が…陛下より友の方が余程に大事だった。だから。

 だから。

「俺は、セシルに忠誠を誓う事は出来ない。」

「俺は、あいつと対等でいる事しか…出来ない。」
 セオドアも又、然り。


「そんな人間が城付きの騎士だなんて、拙いだろう。」
 戻れば、多分あいつは俺を楽な席なんかに座らせはしないだろうからな。
 俺は一つ息を吐く。
「ま、その日旅暮らしってのも案外俺の気性に合ってるって判ったし、それでも良いかなと思っているよ。今は。」
 望郷の思いが無いといえば、それは盛大な嘘になるのだけれども。
 だけどそれなら、対等な立場であいつらと会う事が出来る。それはそれで魅力だった。


「…お前は変わらぬな。」
「なんだ、唐突に。」
 唐突もそうだが、その評価はないだろうと思うが。そう思っているとやけに曇りのない声で言われた。
「その通りだ、お前は気性は騎士向きではない。」
 ……こいつにはっきり言われるとキツいな。
「お前は向かうべき理想を外に求めない。理想は何時でもお前の中にしか無い。そしてお前は、それに向かって生きる事しか自分を表現する術を持たない、 不器用極まりない男だ。…変わらぬな。」
「…いや、本当にキツいんだが…」
 久方振りの容赦ない物言いに、思わず逃げを打ちたくなる。それでもそうしないのは俺の意地なのか、背中を向けてはならぬと身に沁み着いた習慣なのか。 せめて双方であって欲しいが。

「だが、私はそれを好ましく思うぞ。」


 心臓が跳ね上がった。
「如何した。」
「い、いや…何でも。」
 多分全然誤摩化せていない。自分ですら予想外の反応にとてもまともに顔など見れないが、多分ゴルベーザは笑っている。
「それで良かろう。」
「何?」
「対等で良いと、そう言っている。」
 思わぬ肯定に、俺は言葉を失い奴を見た。が、それと同時に…ゴルベーザも又、遠くを見るようにして黙した。

「あれは…随分と、無理をしているのだな。」
 呟くようにそう言った。
 思う事は、多分同じなのだろう。俺も、同じ様に遠くを見る。
「…ああ。ローザもだが、近衛兵団や側近連中は何をしているんだとブン殴ってやりたいよ。」
 放っておけばあいつはどこまでも無理をする。どうしてそれがわからないんだと、そう思うと本当に腹立たしい。
「殴ってこい。」
「何だって?」
「殴ってこいと言っている。私が許可する。」
「あ、あんたに許可されたって…」
 どうにもならないだろう、と、言葉にできない。裏腹に、ならばそうしようかと思いかけている自分が居た。
「お前にしか出来ぬだろう。あれと対等である、お前しかな。」
 …そうやってまた、俺にしか出来ない役目だと、そう言うのか、あんたは。

 

「セシルは、対等であるお前が横にいる事を望んでいるのだろう。ならば、迷う事は無い。」
「だが…」
「カイン。」

「お前が、セシルの下に付く必要はない。」

 ああ、そうやってまた俺に、呪詛をかける。「それで良い」と。
 判っていて俺は…それを拒めない。

 

 

「お前達は常に共に並び、共に磨き合ってきたのだろう。ならばそれで良いではないか。隙あらば、寝首でもかいて玉座に座ってやると良い。」
「寝首って…い、今と昔じゃ状況が違うだろ。」
 物騒な言葉はやらないと判っていて言うこいつの冗談の部類だが、他に誰かが居たら洒落にならない事この上ない。
「王など唯の役職だ。お前程の人間が頭を垂れるものではあるまい。」
 その上弟相手だから良いようなものの、恐ろしく不敬な言葉を平気で放った。それでもこいつが言うと、貫禄の差か異様な説得力がある。肩書きなど、この男の前では一瞬で全て剥がされるものだと、俺が知っているせいだろうか。
「お前が知っている唯のセシルが、セシルの真実の姿だ。ならば…並んでやれ。寄り添う心が、背を預ける場所が人には必要だという事を、お前は良く知っているだろう。」

 

 馬鹿野郎。何言ってるんだこいつは。

 

 

「…あいつが背を預けたがってるのは、あんただろう。」
 余裕を浮かべていたゴルベーザの表情が、少し曇った。
「依り辺がある事の心強さは良く知ってる。俺の後ろにあんたがいる、そう思えるだけであの頃も今も、どんな事より安心して前に進めたよ。保証してくれる上がいるってのは、本当に楽なもんだ。」
 だから人は人の上に神を作るんだろうなと、そんな事を思ったものだ。
「俺はあいつと並び立つ事は出来るかもしれないが、なにもかもを預かれる存在にはなれない。あいつが無条件に自分を預けて甘えたがってるのは、俺の知る限りあんただけだ。その位置は、あんたしか立てない。」
 睨むように見る。ゴルベーザはどこか遠くを見るように目を背けた。
「…私は、行けぬ。」
「……ずるいよな、お前は。」
 それでも俺は、俺の力では…この男の意志を止められない。
 

 

「カイン。」
「何だ。」
「お前は、自分の姿が他者にどう映っているのか、本当に自覚がないな。」
「そんな事あんたに」
 言われる筋合いはない。そう続けようとして、俺は絶句した。
 笑っていた。見た事も無い様な、穏やかな表情で。
「お前は、竜騎士の力を捨てなかったな。」
「と、当然だ。過去に犯した罪が何だろうが、竜騎士である誇りを捨てる気はない。」
「お前のその姿、恐らく父の力ではないぞ。」
「え?」
 ゴルベーザの…深く沁み入るような声だけが、渓谷に静かに谺する。
「お前が過去を受け入れた時、セシルのように過去の象徴であるその竜の姿を捨てる事も出来た筈だ。その方が未来に進むには都合が良い。だが、お前はそうしなかった。そうはならなかった。」
「…。」
 困惑する。言葉が継げない。出てこない。
 僅かな沈黙の後、ゴルベーザは…心臓まで、脳髄にまで響くようなあの優しい声で言った。
「お前は自分の足で、ついに己の誇りを貫き通したな。」

 それは俺にとって最高級の賛辞だと、この男は知ってて言っている。

 

「お前のその輝きは聖騎士の力を得たからではない。己の心にのみ準じ、生き様を貫き通した誇りの輝きだ。地位も、名誉も、父の力も関係ない。」
 俺は何も言えなかった。何も、言葉が浮かんでこなかった。歓喜に流されまいと、それだけに必死だった。
「十余年、並大抵では貫けぬ道を歩み通した。だからこそ、並び立てる。セシルが思いやる優しさの輝きならば、お前は己に誇り高く生きる者の輝きだ。」
 畜生、今更こいつの言葉に躍らされてたまるか! その意地だけが俺の自我をぎりぎりのところで正気に保つ。
「何も迷う必要は無い。今のお前は誰が見ても、セシルと共に有るに相応しい存在だ。」

「その男を一時でも配下に置けたのだからな。私も僥倖であった。」

 ああ。駄目だこいつには敵わない。

 

 

「やめろよ…」
「如何した。」
「あんたに褒められたら俺は本気で喜ぶんだ。判ってやってるだろ。止めてくれ。」
 情けない事に涙が止まらない。両手で覆うのは女々しくて片手で押さえる。止まれというのに、まるで言う事を聞いてくれなかった。
 目なんてとても開けられないが、多分こいつは笑っている。俺が渇望している、俺すら気がつかない欲求を、いつもこの男だけが的確に捉える。悔しいったらありゃあしない。それでも…それが嬉しくて、安心出来て、俺はこの男から離れられなかったんだろうと、今にして思う。

 今なら素直に思える。俺がこいつの下にいたのは、本当に洗脳のせいだけじゃあなかったと。この男のこの器に…俺は惹かれたのだと。

 

 

 

「お前は最後まで折れる事無く、己の生き様を貫いたのだ。胸を張り、己を誇り、故郷の地を踏むが良い。」

「やめろよ。」
 本当に

 アンタに言われると、

「…そう、思っちまうだろ…。」

 

 

 笑ってしまうくらいこいつにかけられた呪は未だ有効で。
 多分、俺が騎士として剣を「捧げる」相手は

 生涯この男しか居ないんだな。と、

 

 もう、それを否定するつもりは、更々起きはしなかった。

 

 

「カイン。」
「何だ。」
「セシルを頼むぞ。」

 静かな言葉に、俺は跪くより他なかった。

 

 …承知致しました、ゴルベーザ様。

誰です、私にエロなど期待した者は。