月が見えないな。
疲労の滲む身体を引きずって岩陰に身を寄せ、星空を見上げそう思った。
嘗てはあれ程に厭うた満月を今は恋しくすら思う。
いや、厭うていたのはほんの数年間だっただろうか。あの声を拒んでいたのは何時までだっただろうか。
曖昧な記憶が常以上に朧げになる。否、寧ろ深遠に沈んだ記憶が浮かび上がっているような気もする。自分が混濁する。
ああ、新月は駄目だ。
月の民の魔力が衰える。
自分が霞む。
鎧が
落ちて、 ほら
昔の自分が、 顔を出す。
ああ、月に会いたい。
暗い森。
これは夢だ。
声に導かれるまま辿り着いた其処に
疲労の濃い身体が見せる幻覚だ。
自分の指を握る小さな命を
だがこれは 紛れも無い真実だ
置いた。
その泣き声に振り向きもせずに
「兄さん」
それは幻聴だ。
だって弟は産まれたばかりだったのだから
「兄さん…!」
幻聴に、ゴルベーザは落としていた瞼を上げた。
目の前に有るのは赤ん坊ではない弟。なんだ、新手の幻覚かと一瞬そんな事を思った。
「兄さんしっかりして…! 大丈夫?」
心配そうに見つめる弟の手が頬に触れる。兜が取り去られている事にそれで気がついた。
「…ここで何をしている。」
自分の声が嗄れている事に少々驚いた。
「何って…その、呼ばれた気がして…。大丈夫? 熱、あるみたいだけど…。」
言われて、漸く自分の状態を鑑みる。この重怠さは疲労だと思っていたが、そうか体調不良だったか。
「そうか、心配をかけたな。お前はもう帰れ。」
「え?」
一言だけそう告げてゴルベーザは立ち上がった。確かにくらりと目眩もしたが、特に構いはしなかった。
「待ってよ、帰れって…兄さんはどうするんだよ? 熱もあるみたいだし、その状態でカオスの所に戻るのは危険だろう?」
それはそうだった。そう思って、疲労が回復するまで連中の目を避けようとしてここまで来たのだが。
「…どうとでもする。」
「ならないだろうそんな状態で! いいから少し休んで…」
そう言って外套に縋る手を
はね除けた。
「っ…!」
驚いて手を引く弟の姿が目に入る。
嗚呼、仕舞った。この手甲では痛かろう。
何をしているまた自分は
駄目だここで甘やかせては何にもならないだから
二人分の思考が交錯する。まとまらない。
「私の事等どうでも良い。」
結果出たのは、この上なく自暴自棄な己の共通見解だった。
ああもう、どうしてこの人はこうなんだろう。
薄々感づいてはいたけれど、いつもいつも自分を顧みないで僕らの為に危険な道ばかり歩いて本当に――
ふいに聞こえたその声に、幻かと思いつつもこの場所に来た。
兄はそこに居た。常にない苦しそうな表情でそこで眠っていた。
ああ、間違いなく呼ばれたんだ。きっと僕を頼ってくれたんだと、とても嬉しかったのに、なのに、こんなになってまで――
ものすごく、無性に
腹が立った。
「っ…どうでもよくなんかないだろ!!」
びくりと、一瞬怯んだ兄が見て取れた。ここをのがしてなるものかと僕は捲し立てる。
「大体兄さんはいつも勝手なんだよ! そうやって一人で行動して、心配の一つもさせてくれなくて! 体調悪いんだろ、こんな時くらい僕を頼ってよ!」
「必要はないといっている。お前に心配などさせる程落ちぶれてはおらんわ!」
珍しく激昂するセシルに柄にもなく怯んでしまった。
駄目だここで引いては色々と培ってきたものが台無しになる。漸くここまできた計画が、いやそんな事よりも――兄の威厳が―
ふとそんな思いがよぎったら、こんな言葉が出ていた。
一瞬ぽかんとした後、セシルの表情が見る見るうちに変わる。
あー、こりゃもう泥沼だな。と、どこかで昔見たような自分が苦笑いしながら状況を見下ろしていた。
昏々する。熱のせいだ。多分。
「そう…そんなに、…僕はたよりない…?」
「そんなことは言っていない。只それは私に向けるべきものではないというだけだ。」
「じゃあ誰に向けろって言うんだよ。」
「それは……、まあ、難しい所ではあるが」
口を尖らせるセシルにゴルベーザは言い淀む。
「ほらみろ、ろくに答えられもしないくせに! だったら僕が誰をどう心配しようと勝手だろう! 兄さんが苦しい思いするのを見るのは嫌なんだよ!」
セシルが声を荒げた。
それで何故か
なんだか分からないが
ふつりと、ゴルベーザの中の何かが切れた。
「わからん奴だな。今更どうということは無いと言っている。この程度でどうこうなるような温い人生など歩んでおらんわ!」
一瞬きょとんとしたセシルの表情が見る間に膨らんで
こちらも、切れた。
「だったら余計だ! 今更これ以上辛い思いする必要性がどこにあるんだよ!! マゾなの!?」
「言うに事欠いて何を口走るかお前は! それにこれは必然だ。どれだけ苦しもうと、私が背負う罪に匹敵するものなど有りはしない!」
「だったらそんな荷物なんか捨てちゃえ!!」
「捨てられるか馬鹿者!! これはお前に為した罪だ! お前の為に生涯背負わねばならんものだ!」
「余計にいらないよそんなもの! そんなのだれがいつまでも後生大事に持っててくれなんて頼んだんだよ馬鹿兄貴!!」
効いた。
これは、とてつもなく効いた。ゴルベーザは自分の足元がふらつくのを感じた。
畳掛けるようにセシルが責め立てる。
「僕のためにずっと苦しい思いして、僕の不幸全部代わりに背負い込むみたいに生きて! どこが平気なんだよ! 僕はたった一人の兄さんを不幸にしてまで幸せになんかなりたくない! それ、少し返してよ!!」
「そんな積もりは無い! これは私が自ら背負った業だ、お前は関係ない! 大体これがお前の不幸だというならそれで本望だ! 返す義理もつもりも毛頭無いわ! お前は私の弟だ、私の分も真っ当に幸せになればそれでいい! 判ったか!!」
効いた。
これも効いた。セシルは自分の目の前がぼやけるのを自覚した。
壮舌なる攻防の末、月に静寂が戻る。
……何言ってんだろ。
お互いにそう思っていた。
「…馬鹿を言ったな。」
溜息混じりに兄が言う。
「…本当に馬鹿だよ。馬鹿にーさん…」
涙混じりに弟が言う。そのまま兄の鎧にそっと縋った。今度は、兄がそれを拒むことはなかった。
「やはり具合が良くないようだ。怒鳴るような真似をして済まなかったな。」
「…謝るとこ、そこじゃないよ…」
怒鳴られたその言葉は、結局いつもよりずっと優しかったのだから。
「兄さんの幸せを食いつぶすみたいに生きてきたのは僕なのに。」
「そんな事は有り得ん。要らぬ心配をするな。」
「だけど母さんが死んだのは」
「言うな。お前に罪は無い。」
強く、しかし甘やかに投げかけられる言葉にセシルはどうしても「そんなのは嘘だ」と言えない。自分の全てを包みこむような大きな腕がそれを言わせてくれない。己のありのままを容認し導いてくれる兄の存在は、無条件に頼れる大人を持てなかったセシルにとって余りに大きすぎる。
だから結局こうして最後は、兄の厳しい優しさに負けてしまうのだ。
「…少し、疲れたな。」
珍しい兄の弱気な言葉にセシルは顔を上げる。
「あ、御免…具合悪いのに体力つかわせちゃって。少し、休んで。」
「…そうだな、私の負けだ。ここは折れることにしよう…」
そう言って漸く、岩陰に凭れ掛かるように腰を落ち着けた兄に安堵して、セシルはふわりと頬笑んだ。
「僕も疲れちゃった。一緒に休んでいっていいかな。」
「もうそのつもりだろう。好きにしろ。」
言う弟は既に兄の腕の中。答える兄は外套でそれを包むように抱く。言葉が冷たいのはもう気にもならない。
「…伝染るなよ。」
ほら、結局はこんなにも優しい。
「うつらないよ。でも、うつったら兄さん、看病してくれる?」
頬笑みながら言う弟の言葉は冗談だと理解する。理解して
「…いいですとも。」
冗談で、兄はそう答えた。
天には蒼い下弦の月が浮かび始めていた。
「イイハナシダナー。」
「結局ただの兄弟馬鹿じゃねえか、レアいモンではあったけどよ。どっかで雪でも降るかこりゃ。」
遠巻きに喧噪を見守っていたバッツとジェクトが呟く。
「次元城がフツーの城になって全部落っこちてたりして。おれ見てこようかな?」
「おう! そりゃ天変地異だ。変わってたら俺様にも教えろ。」
ふざけて笑う二人の足元には、幾許かのイミテーションの残骸が。
「んでもまあ、今は護衛のが必要かな? セシルも寝ちゃってるだろうし。」
「だなあ。見て判るぐれぇ体調不良だったしなあいつも。」
「お、父ちゃん優しいねえ。」
「今頃判ったのか? この世に俺様ほど慈愛に満ちた人間いねえぞ。」
「女限定かと思ってた。」
「大抵はな。」
そう言ってジェクトは笑う。
バッツは偶然通りかかったら、なにやら物珍しい怒鳴り声が聞こえてきたのでそのまま見学したという案配。ジェクトは、ゴルベーザの様子がおかしいのを見て後をつけてきたという事情。かちあったのは偶然。目的は同じらしかったので今は休戦中。
「ま、結果オーライみたいだし、寝かせておいてあげますか。」
「だな。おい、おめぇ一杯いけるクチか?」
と、言ってどこからか出てくるのは勿論アルコール。
「お! アーティファクト酒瓶装備とはやるねえ! もちろん付き合うぜ、タダだし。」
「どこの誰だよそりゃあ。ハンパなものまねしやがってw 卵酒でもと思ったんだけどよ、必要なさそうだしな。」
かちり、と杯を合わせる音。
月の渓谷で月見酒とは乙だね と、どちらともなく静かに笑った。
2つの月を起こさぬように。
俺様査定40点_| ̄|◯
だがうpる。今日…この日にッ…!!!(4/23)
エピローグが無駄長いのは仕様です。俺は、もうそれでi(略
某所の某ポチ様(ほぼ伏せてない)のチラ目線に負けたと言い訳をこきつつ全力でネタをパクってみました…が。
「戦いに疲れた月兄弟が勢いで言いたい放題言い合って最後に抱きしめ合えば萌え死ねる」(記憶をたどった要約)だったのです…が。
…ま、ムリだとはおもってたんだけどさ!!
大体最初の条件からして、バトル書いたら延々とその描写をやってしまうもの俺は!!
よく解った。俺はワンシーンだけのSSを書く才能は一切無い。うん。
あ、兄さんの設定は微妙にオフ本のを下敷きにしてあります。微妙にだけど。