ゴルベーザと兎

 

 ネミングウェイは父の古くからの友人だと、それは幼い頃に聞いていた。
 白状するなら、物心付く頃には既によく見知った姿だった。
 よく尋ねてきていたのだろう。当然だが、特に疑問は感じなかった。
 もう少し白状するなら…多少、玩具にして遊んだような覚えも…無きにしも有らず。
 当時から行商が生業で、思えば父に何かしらの物やら情報やらを定期的に持ってきていたのだろう。土産物もよく貰った。白状を重ねるなら、来訪を楽しみにもしていた。
 多分、父があの里に定住するようになってから、代わりに彼が青き星を見て回っていたのだと思う。

 …バブイルに来た事もあった。
 私の事も、判っていたのだろう。

 

 故に、判らなくはない。
 判らなくはないが。

「…何故お前が、今、月に居る…。」
「まあまあ固い事いいっこなしですよゴルベーザさん。」
 そう言って、赤いフードを被ったしゃべる兎は、青いフードを被った同胞の住処で、人懐っこい笑みを浮かべ笑った。

 

 

 さすがに、あの老体では久方ぶりの遠出は堪えたらしく、今ハミングウェイの住処で部屋を宛てが われフースーヤは休んでいる。長寿となるよう遺伝子に設定された月の民と言えど、普段殆どを眠りの中で過ごしていればやはり突然の運動は体に堪えるらし い。このあたりは並の生き物なのだと思えば、少々安堵に似たものを覚えなくもない。自分が人並みとは間違っても言えない事は重々承知だが、出来る事ならな るべく人間の範疇で居たいものだ。
 普段は鼻歌の煩い兎達も、眠る客人に気を使っているのか何時もよりずっと静かだ。
 その巣の一角で、私は件の兎と向かい合っている。
「固い等という問題ではあるまい。今のこの月は、とうの昔に青き星の衛星軌道上を離れている。バブイルの次元エレベーターを最大出力にしたとて、届くか否か怪しい距離だ。」
 どうやってここに来た。その言葉は言外に視線に乗せる。他の連中なら無理だが、これはそれが判らぬ程鈍い兎ではない。彼は一族の中で例外的に高い知性を設定されている存在らしい。恐らく、ハミングウェイ一族の長となる存在だったのだろう。本来ならば。
 多少は抵抗するかと思いきや、ネミングウェイはあっさりと、手招きをしながらひょこひょこと歩き出した。
「ついてきてください。」
 相変わらず底の読めない微笑みを浮かべながら。


 見事に兎寸法の出入り口だった。
 別に喧嘩を売っているわけでもなかろうが、相手の丈を見て行動しろと目線だけで言ってやると「小人かカエルにでもなれば入れますよ」等と抜かしてなにやら鞄を漁り始めたから無理矢理に入ってやった。
 豚という選択肢が出なかっただけマシだろうか。

 兎の巣にはまるで似つかわしくない、機械仕掛けの装置が、そこに鎮座していた。
 大きく明かり取りを設けられた天蓋から真直ぐに光…太陽のそれが集約されている。月の大気は、惑星衛星に偽装する為に周囲を照らすような構造に作られて いない。ここだけ、意図的に青き星の大気に近く作られているのだ。そしてその中央に設置されているのは何かに似た…四角いパネル。
「…次元エレベーター…」
「わあ、さすがですねー。バブイルとは全然違う形だと思うんですけど、よくわかりました。」
 近寄って吟味する。大分小型のもののようだが、感じるエネルギーは大したものだ。しかし、このハミングウェイの住処に供給されているクリスタルの…否、 この月のエネルギーは間違ってもこんなものを動かせる熱量ではないはずだ。ましてや、これが青き星と繋がっているとなれば、益々持ってクリスタルを動力と する事はもう…有り得ない。月は、蒼き星とは切れたのだ。
 よもや、こんなものが此処に設置されているとは思わなかった。
「…どうやって動いている。」
「太陽ですよ。」
 返答は全く秘されることなく返ってきた。
「太陽光で…青き星からここまでお前を飛ばす程の力が出るというのか…?」
「ええ、そうらしいです。なんのかんのって自然はすごいですねー。結局どんな燃料電池も原子力でも、総合力じゃお日様に敵わないんだそうで。原子や水素は 瞬発力はすごいけど、やっぱりパーツにガタ来ちゃいます。何より人の手で燃料を供給し続けなければなりません。その点太陽光は、なんといっても供給いらず で溜め放題。お日様は必ず昇りますからね。そういえば魔導船の動力も半分太陽エネルギーでしたよね。」
 そういってネミングウェイは快活に笑った。
「でもね、残念ですがこの装置はそんなに丈夫じゃないんだそうです。」
 兎はそれを大事そうに撫でて言った。
「溜めた太陽エネルギーを一瞬に放出して水素燃料並みの瞬発力を出すからものすごい負荷がかかっちゃう。私みたいな質量でもせいぜい一度か二度往復できれば上々だ。って、クルーヤさんが言ってましたよ。」
 父さんが。その単語は、飲み込んだ。
「距離も遠くなっちゃったんで、一往復だけで壊れちゃうかもしれませんねえ。」
 明るく言う言葉に、悲壮感はまるでなかった。

 事、この巣では有り得ない沈黙が支配する。
「…それで、そこまでの危険を冒してのんびり里帰りか? 売り物でも見繕いに来たか。」
「あっはっは! やだなあそんなことしませんよー。商売だったらバロンにでも行った方がずっといいです。ちょっと前まで復興景気で稼がせていただきました。ご贔屓もしていただきましたし。」
 そうだ、この兎は父とは無関係にセシルとも面識があるのだ。
 …確認は、せずにはいられなかった。
「…セシルは、元気か。」
「ええ。ちょっと前までは。」

 再び、沈黙が座を支配した。
「…今は、ちょっとよろしくないです。多分。」
 潜めた声に瞼を閉じた。無意識だった。
「お城に入って会ったわけじゃないんですけどね。今、とてもよく似てますよ青き星は。」

「あの頃に。」
 考えない事では、なかった。

 

「ボクはあなたが心配で来ました。セオドール。」

 反射で、瞼を開けた。否定しようとした言葉は飲み込まされた。
 見慣れた陽気な兎の、見た事もない真剣な眼差しに、不覚にも気圧された。

 が、それもすぐに何時もの微笑みに裏に隠れる。
「ついてきてください。」
 一見楽しそうに跳びながら奥に進む兎の後ろ姿には、拒否する事を赦さない決意の強さがあった。

 

 

 そこにあるのは、重苦しい扉だった。
「はい。」
 その前で、一枚の紙を差し出された。
「…これは?」
「この奥に安置されているものの一覧です。ずっと、ずう――っと昔、この月が母星から旅立った時に、館と分けて僕ら一族に預けられたものだと聞いています。」
 …ハミングウェイ一族もまた、月の民と同じだけの時を過ごしているが、それでも彼らは起床して生活し、其れ故に多少の代替わりをしている。彼もまた、二世代か三世代目に当たるのだろう。
「館の地下に保管してあったものよりはずっと劣ると思いますけど、あっちのは前にセシルさんたちが使っちゃたんでしょ? こっち、使ってください。」
 有難い申し出ではあった。だが、それは恐らく、私が受け取っていいものではない。
「…有難いが、私が受け取るべきものではない。フースーヤに」
「キミに、渡したいんです。」
 私の言葉は、強い口調で遮られた。

「…助けに行くでしょ?」
 兎は微笑んだ。
「ああ。行く。」
 今度は助ける。

 己の手を見る。
 捨てる事と 傷つける事しか出来なかった。
 異説ですら、突き放す事でしか 救えなかった

 だから、今度こそは

「ボクも、助けてあげられなかったから。」
 兎が 何かを呟いた
「キミを。」

 悲しげに微笑んでいた。
 その意味を理解する事を、咄嗟に私は拒んでいた。

  

「…な、にを」
「あの頃ボクはトロイアの方に行ってて、のんきに…浮かれてたんです。裏ではあんな非常時だったって言うのに。びっくりしました。さんざん遊んでから里に行ったらだぁれも居なくなっちゃってて。」
 何の話をしている?
「ボクね、ちょっと聞いてたんですクルーヤさんに。最近すこーし嫌な気配がするから、気をつけろって。二人で満月を見上げてね。や、お月見はよくしてたん ですよ前々から。やっぱりほら、懐かしいじゃないですか。…申し訳ないってのもあるし。結果的にボクら抜け駆けしたわけですから。でも、あの時のクルーヤ さんはそう言う意味で月を見てたんじゃなかったんですねえ。」
 ボクの一族ほら、鈍いから。笑う兎の意図が よくわからない。
「もう弟が産まれてるだろうなーって思って、おみやげいっぱいもって、行ったらね…。」 
 取散らかる話の内容を、漸く、それが何時の話なのかを理解した。
「ボクなりに探したんですよ。商売のツテとか使って。ボクはほら、みなさんみたいな精神波ないから、情報だけが頼りで。すぐミシディアに走って、デビルロード失敬してバロンにも行って。」
 …道筋としては間違っていないな。そんな如何でもいいいような事を思う。
「…上手に隠されちゃいましたねえ、ゼムスに。」
 兎は苦笑いしながら、頭を掻いた。

 仕方があるまい。
 だってあの後は、転がるどころか墜落するように
 どうにもならない奈落の、闇の世界へと堕ちて行った。
 真っ当な商売の情報網で、どうこう等なるまい。

「…ずいぶん経ってからそれらしい人の噂とかは聞いたんですけど、その頃にはもうボクなんかが手出し出来る状態じゃなかったです。」
 悲しそうに兎は言った。

「ごめんね、セオドール。」

 

 全身が固まるなどという体験は何時ぶりだろうか。
 何を言われたのか、全く理解出来なかった。
「…止せ。何故お前が頭を下げる。」
 理性の外で言葉を理解した。血が騒ぐ。自分の動悸が耳に付く。悪寒でもなんでもないというのに、気が遠のく。
 何かが
「ずっと言いたかったんだよ。助けられなかったから。」
「お前に落ち度はあるまい。」
 自分の奥から何かが 首をもたげて
「そんな問題じゃないから。」

 どこか悲壮な声で。

「助けて あげたかったんだよ。」

 それだけなんだよ。
 何処か遠くに居る、古い、古い私だけがその言葉を聞いていた。

 何も言わず。
 只、黙って頭を下げるだけのそれに
 掛ける言葉等私は




「…ありがとう。」



 嗚呼、これは私ではない私の声。

 





「セオドール」
「その名は止せ。」
 もう、私は正気に戻っていた。
「わかってます、あっちじゃ呼びませんよ。でもこっちならいいでしょう? みんなそう呼んでるって聞きましたよ。」
「…ここでは私は『クルーヤの息子』だからな。父を基準にすれば、仕方あるまい。」
「なーる。じゃ、ボクも権利ありですね。」
 …言われれば、否定のしようも無い。権利者としてはフースーヤに次ぐだろう。


「あ、そうそう、これも持っててください。」
 そう言って渡してきた物は、小型の…投射機か。黒光りする材質が、どこかで見たようなものを思い起こさせる。
「…これは?」
「魔導船のオプションです。ちょっとした次元エレベーターというか、まあ転送装置です。転送半径は長くないし人間なんかは無理ですけど、近場でアイテム送 るくらいならけっこういけますよ。バブイルの部品なんか下ろしたりしましたから。おまけで3D映像投影もできます。」
 有無を言わさず、握らされた。
「こんなことしか出来ないけど、ボクにも手伝わせてくださいね。」

 先を見越した一族の天才兎は、そう言って、昔と変わらない微笑みを浮かべ笑った。

 

 一覧と、簡単な地図を手に取り、私は彼に背を向ける。
「…行ってくる。」
「え、どこへ?」
「お前が寄越したのだろう。」
 ひらりと紙を靡かせる。
「一人で行くつもりですか!? だーめだめ、フースーヤさん起こしてきます!」
「寝かせておけ。老体に無理をさせるな」
「駄目です!」

「ボクの目が黒いうちは、セオドールに無茶なんか絶対させませんよ!」
 そう言って、赤い目の兎は真剣なまなざしで…凄んだ。

「…それは無茶のし放題という事か。」
「え? あ、ああ!!」
 気がついたらしい。赤! 赤ですと慌てて訂正する様がいかにも小動物という仕草で、私は

 笑っていたらしい。


「…久しぶりに見たな。キミの笑い顔。」
「そうだな、久しいかもしれん。」
 この一族は本当に、緊張感というものを根こそぎ削いでいく。
 実に、苦手だ。
「お前に免じてフースーヤが起きるまで待つ事にしよう。だから起こしはするな。」
 そう言って、適当に座った。
「わかりました。じゃあ」
 ネミングウェイもその横に座り。
「久しぶりにゆっくりお話しましょうか。小さい頃みたいに。」

 セシルさんのお話も少しは出来ますよ。そう言われては拒む事も出来ず。
 それから暫く、久方ぶりに目覚めそうになる懐かしい何かを押さえるのに、私は随分と苦労させられる羽目になった。

パパとネミングウェイは一緒に月から降りてきたんだよね。じゃあ顔見知りだよね間違いなく(・∀・) 飽くなき妄想SSでした。2010年11月兄さんの日吉日。
月の民編で「なんでおめーここにいんだよ!!」赤兎に全力で突っ込んだのは俺だけではあるまいw そして『ゴルベーザさん』の呼び方に全身を振るわせ身もだえたのも俺だけではあるまい。
俺は基本的にSFC版がやはり基準だろうと考えているんですが、DS版セオきゅん追加イベントとネミングウェイのデザイン変更は神仕様ですよね! とかいいつつ兎のしゃべり方はおぼろげな記憶と勝手な印象だけで書いてますけどね! 途中で口調が変わるのは俺アレンジです。雰囲気です。

タイミングとしては幻獣神の洞窟→隕石落下跡 の間かなあ。そこからは急いで館に戻る展開だし。少々矛盾あるかも知んないけど、捩じ込めるのそこくらいしかないよなあ…(そのタイミングで道に迷って月を3周したのは俺ですとも_| ̄|◯)

ついでにチャレンジダンジョンの要素もねじ込んでみました。レベル的には無謀だぜ兄さん(笑)