シドとクルーヤ

 

 国語も社会も嫌いだ。算数なんて大っ嫌いだ。理科はちょっとだけ好きなところもあるけれど計算は嫌だし、地理だなんて全くおもしろくもなんともない。
 音楽なんて面倒くさいし、ふとっちょだから体育だって不得手だ。


 それほど裕福ではない家庭に産まれ、それでも学校に行かせてもらえているというのは凄く有難いことなんだろうな…となんとなくは理解しつつも、初等学校中学年程度の子供では納得することなど到底出来ず、ふてくされた表情で今日もひとり、シド・ポレンディーナは丘の上で自慢の作品を飛ばしていた。
 折り紙を幾重にも複雑に折り曲げ、鳥を真似た翼をつけて、はばたかないまでも風を切り空を舞うそれ。唯一大好きな、技術・工作の時間に造った傑作を。

「技術ばっかりの学校があればいいのになあ。」
 誰にともなくつぶやき、シドは白いそれを放り投げた。
 なかなかに複雑な紙の組み合わせ方をされた特製品は、春の晴れた日差しを受けて白く輝きながらゆっくりと弧を描く。元々は工作の時間に「下級生にプレゼントしましょう」などという企画で折り紙を折った際に思いつきで作ったものだ。
 たかが折り紙…などと侮っていたのは最初だけ。元より工作の好きなシド、只の折り紙じゃつまらない、おどろかしてやろうと思ったが最後、あれよあれよと大変な作品になった。
 折って、切って、貼付けて、それをまた組み合わせて。飛ばしては直し、思いついては付け足して。最終的に、全長30センチを越える大きな紙の鳥が出来上がった。
 思惑通り、最初にそれを学校で飛ばした時は大喝采を受けたものである。
 廊下の端から端まで飛んだのだ。
 結局、ほしいほしいと折り重なってくる下級生を『ケンカするならやらん!』と屁理屈こねて自分のかばんにねじこんだ。
 あまりの出来映えに勿体なくなったのだ。
 それ以来、シドの趣味はこの特製折り紙の改良である。

 今日は徒競走の距離くらいは飛んでるかな。今度はどこを改良すればもっと飛ぶかななどと思いながら、着地点に回収に向かうべくシドは立ち上がった。
 ……ところで、それが誰かの後頭部に当たったのが見えた。
「げ!」
 あれはけっこうでかくて重いのだ、当たると案外痛い、謝らなきゃ。 あ、でも取りにいったら学校サボってるのがバレる!
 逃げよう… いや、でも、 あの折り紙、物凄く改良してやっとあそこまで飛ぶようになったし…ぶっちゃけどこをどう改造したのか、造り直すにも覚えてないし…
 僅かばかりの思案の後、シド少年は怒られるのを覚悟でそれを奪還しに丘を駆け下りた。

 

 重たい体を揺すりどてどてと半分ばかり走った所で、人身事故被害者…中年の男性が後頭部をさすりながらゆったりとしゃがんで、加害物体を手に取る所が見えた。今かよ、鈍い人だなあ…と思いもしたが、そんな事はどうでもよかったので速攻横に置いておいた。
「おじさーん!」
 まじまじと紙の鳥をひっくり返しては眺める男性に叫ぶ。ひと呼吸置いた後、なんとものんびりした所作でその男はシドを振り返った。そのころにはもうでぶっちょシドでも目的地に到着していた。
「君のかい?」
「ひい、はあ  …うん、返して下さい! 学校は、今いくから!!」
 息も絶え絶えに先に謝った。叱られると思ったので。
 勢いよく頭を下げて勢いよく持ち上げれば、眼前の男はきょとんとした顔で小首を傾げていた。
 黒い長髪を緩く後ろで束ね、同じく黒いヒゲをけっこうな量蓄えた、なんとも年齢不詳なオジサンだった。
「学校? ……ああ、バロンの子は、今時間は学校に行ってるのか。」
「そうだよ… っておじさんバロンの人じゃないの?」
「うん。僕は旅人。」
 はたして、シドの覚悟は完全な無駄バラしとなったのである。
「な、なんだよ! 謝って損した!」
「あっはっは。残念だったね。」
 どこかおっとりとした口調で笑う黒ヒゲのオジサンは、丁寧な所作でシドの手を取りそっとそれを返してくれた。
「はい、大事な飛行機。よく出来ているね。」
「え…、ほんと!?」
 ヒ…なに? と思いつつも、褒められた事がその疑問の僅か上を行った。
「うん。この角度で当たったってことは…丘の中腹から飛ばした?」
「ううん、上から。」
「あ、じゃあもっと凄い。ここまで飛ぶ紙飛行機なんて、ちょっと今この世界にはないんじゃないかなあ。両翼どころか尾翼なんかもあって…飛んで当然の作りになっているよ。大作だ。君、頭いいんだねえ。」
「え!?」
 そういって黒ヒゲオジサンはにっこりと微笑んだ。
 よくわからない言葉も混ざっていた。が、それはきっと大人になったら解るんだろうと置いといて、置いといても予想外の賛辞にシドは戸惑った。多いに戸惑って結局疑問は全部すっとんでいった。
「そそそそんなことないよ! 俺学校の成績すっごい悪いし!」
「ええ、そんなことないだろう?」
「ホントほんと! 俺国語も算数も体育もぜーんぶ駄目だし!」
「算数得意じゃないの? 理科は?」
「計算はだいっきらい!」
「じゃあこれ、計算したり図面引いて作った訳じゃないのかな。」
「テキトーに折った!」
 あ、せっかく褒められたのに余計な事言ったかな? そう気がついて慌てて訂正する。
「あ、っとたくさん試したけど! 授業中とかずっとどうやって作るかかんがえてたけど!」
 …5秒後に、また余計な事を言ったと気がついた。
 さすがに今度は怒られると宝物をかばいつつ体が半分逃げを打ったが… 授業をサボるなという怒声も、拳骨も飛んでくる事はなかった。
 オジサンは少しぽかんとして…天を見上げ、なにかを呟いた。
「……凄いなあ…青き星の民は…。」
「…うぇ?」
 気抜けたシドの声にか、軽くはっとしてオジサンがこちらを見た。
 ヒゲオジサンはにこりと笑って、軽くシドの手に肩を置き…言った。
「…君ねえ、算数と理科をたくさんお勉強しなさい。」
「えぇ? 何急に、ヤだよ!」
 突然の話題転換に戸惑いながらも、それでも『勉強しろ』を言われ慣れてるシドは速攻拒否する。が、ヒゲオジサンは妙に優しくそれを否定した。
「いや、君の才能はそうしないと勿体ない。バロン一の技師になれるよ君は。」
「…ぎし?」
 また、聞いた事のない言葉だった。
「うん。技術屋さん。とってもすごい工作をする人。」
「技術は好き!」
「そうだろう。じゃあやっぱり、算数と理科もお勉強しよう。」
「え、なんでだよう!」
 シドにはさっぱり解らなかった。やや考え、もしかしてこれは体よくお説教されるのかと気がついて逃げようと踵を返しかけたとき、両腕の中にあった飛行機をすっと引き抜かれてしまった。
「あ、何するんだよ! 返せ!!」
 それほど背の高くないシドが、ヒゲオジサンの両手に掲げられた宝物…ヒコーなんとかと呼ばれたそれにむけてぴょんぴょんとジャンプする。
「これ、壊れちゃったら君、もう一つ作れるかい?」
「作れないよ! だから返せ!!」
「算数を勉強すると、作れるようになるよ。」
「……え?」
 ぴたりと、シドは止まった。
「設計図が描けるようになるんだ。」
「セッケーズ?」
「うん。ここからここまでが何センチ、ここをこう組み合わせる…っていうのを全部記録した図面さ。それがあれば、失敗しても壊れてもまた同じ物が作れる。こんなに複雑だと、覚えてなんておけないだろう。」
 シドは頷いた。だからこそこんなに必死になっているのだから。
「理科を真剣に勉強すると、どうして鳥が飛べるのか、どうしたら物が飛ばせるのかがわかる。航空力学って言うんだけど。」
「コークーリキガク…」
「そう。君が作ったこれは偶然それに当てはまってるんだね。勉強すれば、偶然じゃなくちゃんと狙って作れるよ。もっと飛べるようにもなる。」
「…! ホント!?」
 もっと飛べる。
 その言葉が一瞬でシドを魅了した。
「ホントホント。でもこれはなかなかに難しい分野だから色々な勉強を真剣にやらなきゃ駄目。風の強さとか、気温とか、力と反発、重力。そういうの全部関係してくるんだ。」
 不思議なヒゲオジサンはどこか楽しそうにそう言った。決して、嘘をついてシドを無理に勉強させようとしている目ではなかった。
「…難しそう。」
「あっはっは。うん難しいよ。だけど君はそのスタート地点にもう立ってる。世界の誰よりも早く。」
「せかい……俺が、一番…?」

 シドのいままでに、そんな言葉は縁遠かった。
 勉強も、かけっこも、いつも後ろから数えた方が早かった。
 「ぎし」なら、世界で誰より早く、バロンで一番。そう言われた。

  ヒゲオジサンはにこにこと笑っている。
「うん。僕は旅人だからね、保証するよ。真剣に勉強すればそうだな…飛行機は無理でも……うん、空飛ぶ船くらいは作れるかもしれないね、君なら。」
「そらとぶ… ふね…」

 船が、飛ぶ。
 自分に作れる。
 そんな夢のような言葉を言ってオジサンは、シドの腕にそっと紙ヒコーキを抱かせてくれた。優しい目で笑って。

 

  

  ヒゲおじさんと

 

 

「オジサン、俺、学校行ってくる。」
「うん、そうするといい。」
 黒いヒゲを揺らしながらオジサンはうなずき、変わらず優しい瞳で微笑みながらシドの頭を撫でた。
「オジサン、またここに来る?」
「さあ、旅人だからね。わからないなあ。」
「じゃさ、俺が空飛ぶ船つくったら、絶対最初に乗りにきてよ!」
「それはいいねえ、旅人だから助かるよ。」
「絶対だよ!」
「うん。きっと来る。」
「きっとじゃないよ、絶対だよ!」
「わかった。絶対来るよ。」

 そういってシドは大事な宝物をかばんにしまい、丘を勢いよく駆け下りていった。
 時折振り返って手を振ると、オジサンは最後までそこに立って手を振って、シドを見送ってくていれた。

 

 

  

 

「それからじゃよ、ワシが猛勉強をはじめたのは。」
 懐かしい空飛ぶ鳥を手に、長いひげを顎に蓄えたシドは、ゴーグルの奥で眼を細めた。
 新型飛空挺の図面を持って来たルカと、一緒に顔見せに自宅まで来たセシルと、それに喜んだ孫がそこらじゅうを走り回っているうちに出て来た、懐かしいそれ。
 シドの、全ての始まり。
「 …それって…。」
 セシルが色あせた、複雑に折込まれた折り紙を見つめて呟く。

 今思えば、あの頃のバロンではありえない単語がいくつも出て来たのだ。『航空力学』など、今ではシドが最初に作った言葉だと思われているような。
「『飛空挺』という言葉は、あの時呼ばれたこれの名前をいただいたんじゃよ。もっとも、ウロ覚えじゃからホントはなんと言っとったんかは解らん。ヒコーなんだかヒクーなんだかとかな。」
「月の言葉だったのかな。」
「きっとそうじゃろな。」
 ドワーフらしく明るく言うルカに、シドはすっかり白くなったヒゲを揺らして笑った。

「…約束は果たせなんだなあ……」
 シドが最初の飛空挺を開発したとき、恐らく彼の人はすでに…この世に居なかったのだ。だけど。
「代わりにおまえさんを乗せてやれたからな。まあ、良しとするか。」
 セシルは最初の飛空挺に、最初の飛行に…乗ったのだ。シドと共に。
「じゃあ師匠のヒゲって、もしかしてセシルの父上の真似?」
 ルカが笑いながら問う。
「おう、気にした事もなかった。言われてみればそうかもしれんわい。」
 シドの人生を変えた年齢不詳のヒゲオジサンは、今でもはっきりと思い出せるから。
「セシルの父上は師匠の師匠か。どーりであのオッサン、詳しかった訳だ。」
 ルカが指す「オッサン」はただひとり。短い時間共に旅をした謎の半裸男。
「そういえば、兄さんファルコンを直しちゃったんだっけ。」
「そ! 足りない部品なんか魔法でなんとかしやがってさー。反則だよ反則!」
「そういや言っとったなあ。そうか、あやつともゆーっくり話してみたいもんじゃい。酒なんぞ酌み交わしながらな。」
 飛空艇のことも、クルーヤの事も …セシルのことも、きっと、たくさん話せることはある。
「いいなあ、その時は僕も混ぜてね。」
「お前さんはノンアルコールじゃぞ。」
「ええー?」
 子供のようにふくれるセシル.
 一拍置いて、全員で笑った。

「父さん、結構いろんな所に足跡残してるんだね。」
 立派な木箱に仕舞われていた紙ヒコーキを戻して、セシルは言う。
「まあ何百年と生きとればのう。」
「悔しいなあ、僕ばかりが顔知らないなんて。」
「何言っとるんじゃい、お前さんが何よりの生きた証拠じゃろ。よぉ似とるぞ。」
「…そうなのかい?」
「しゃべり方がそっくりじゃ。あとそのどうものーんびりした所もな。」
「ええ、今はしっかりやってるだろう僕?」
「一皮剥けば変わらんわい!」
 そう言ってセシルの背を叩きながら、豪快にシドは笑った。

 

紙ヒコーキ

 バロン一の技師になれるよ。
 そう言った心の師の手を振る姿を、何十年かぶりに思い出してシドは。
「さー、次はワシがお前達を世界一の技師に育てるか!」
 今やバロンの父となった飛空挺技師シドは、弟子と孫の頭をわしわしと豪快になで回し、笑った。

新PCになった兼ね合いでHP作成ソフトを変えなきゃならず、書いたままえらいこと放置していたまさかのシドSS。
考えれば考えるほど、クルパパは世界のあっちこっちに影響と痕跡を残しているよなあ…。