「 「…確かに、間違いないかと。」
……死体、だよな。生きたモノの臭いがしねぇ。
まだ力の入らない身体を四つん這いに横たえて、視線だけでそれを見上げて異形はそう思った。
暴走するように力を奮った体は、なにやら薬を注射されて飲まされて少し楽にはなったけれども、まだ動かすだけの元気はない。
「数多くの魔物の血が混ざり合い、精練されて余計な部分が削ぎ落とされたのが今の姿かと思います。ですが、体にはその記憶を残している…結果としての変体能力ではと。」
身を守るために何時も形にしていた甲羅すら出す気力がないので、今の異形は目元口元、尾を除けばつるぺたな人間と言ってもいい。
「間違いなく、この世界で唯一人…貴重な生体実験の結果です。」
「…しゃべる死体にレアもの扱いされる謂れねぇよ。」
振り絞ってそれだけ言い返した。活きた死体は、ぐう、とだけ唸ったようだった。
「ははは…!それは最もだ。」
笑ったのはあの銀の男、ゴルベーザ。
この男が…どんな手を使ったかわからないが、暴走する自分の力を鎮め、石化を解かれ崩れるように倒れた自分を苦もなく背負い上げて…僧兵達の去った方向とは逆のこの水辺に運んだのだ。
「エブラーナでは水辺の怪を魍魎と呼ぶ事があるそうだ。そうだなバルバリシア。」
「は? は、そのように聞いた事がありますが…。」
突如話しを振られた女…バルバリシアが虚を突かれた表情で返事を返した。
「字を代えれば罔両。影の周りの虚ろな部分、転じて境界の曖昧な部分を指す。形を失い境界を越えるお前が水怪というのは、なかなか得てして妙なものだな。」
そう言ってゴルベーザは笑った。
「…難しい事はわからねぇ。」
「そうだな。何がどうであろうとも、お前という存在に代わりは有るまい。ならば如何でも良い事だ。」
意図はさっぱりわからなかったが、自分の存在を否定しないこの男の言葉は心地よかった。
「我らは皆同じだ。人としての道を捨てたもの。人としての生を捨てたもの。人の世に生きる場所を得る事が出来ない者が集まる…。」
銀の男は寂し気な顔でそう言った。
「…あんたは? あんたは人間に見えっけど。」
「私の半分は、月の魔物で出来ている。」
月光を受けてそう答えた。
やっぱりなぁ。そんな気がしたんだ。
声には出さず、異形はそう思って…笑った。
「…私の元に来ないか。人成らざるものよ。」
「いいぜ。けど、一つだけ条件がある。」
「何だ。」
「……忘れてぇ。それが出来るなら、おめぇの下についてやるよ。」
「良いのか。」
「いらねぇや今更。…邪魔なだけだ。出来るかよ?」
「容易い。」
「わお。」
そう言って銀の魔物は、左手を異形の額に翳した。
女の姿が遠ざかる。手が、顔が、 …その名前が、霞む。
さよなら。
これでアンタは俺から開放される。
俺は
形を忘れた、水の魔物になるよ。
この人の元で。
ただの、俺になる。
「…気分はどうだ、カイナッツォ。」
「清々しいね。」
「なら良い。」
「ところで、それぁ俺の名前かい。」
「そうだ。気に入らんか。」
「いや、カッコいいんじゃねえの?」
そう応え異形…カイナッツォは笑った。下卑たように見える笑い顔の本当の意味は、彼を知る者には充分理解出来た。
「水のカイナッツォ、地獄の渕に堕ちるまで…ゴルベーザ様にお供しましょう。」
寂しがりやで天の邪鬼な水の異形は、生まれて初めて素直に深く、頭を垂れた。
いやあ… こんな話になったかそうかー。びっくりだー。
四天王編集大成としてはなかなか面白い話になったかな。ここまでお付き合い頂き、ありがとうございます!
一部、さらりと京極夏彦ネタが出てきております。サーセン趣味ですとも。
京極堂読んだ時に最初「どんな俺の中の兄さんだ!!」って思った第一印象が未だに尾を引いてるんだな。
正確には水怪のほうは「罔両」ですが、まあ元より曖昧な妖怪だから多少のご都合主義はご勘弁願えるよ…ね?
この後ヤンはきっと大出世するんですが、そこの描写まで入れると真面目に誰が主役だかわかんねー話になるので割愛しました。
おまけとしても入れづらかったぜ。