兄さんとバレンタイン 1

 

 昨日はお祭り日だった。
 正確にはバレンタインデーだった。
 人によっては世界全ての甘味を憎む日でもあろう。
 ファンとの交流を大事にするザナルカンドエイブスのエースジェクトにとっては、無数のファンに取り囲まれもみくちゃにされる、男として最大の賛辞を得られるお祭り日に他ならない。
 チョコの数は…ワゴン車一台。単位がおかしい。
 独身の頃ならそのまま女遊びになだれ込んだり、あちこちの友人に自慢しまくっていたもんだが、今はさすがに大手を振って嫁に自慢する訳にも行かず、ちょっと寂しかったりもする。
 今日明日はオフ日。そんなこんな考えていたら、そうだ、どーせ家か研究室に篭りっぱなしでチョコなんぞ大してもらっていない野郎がいた(と勝手にエスパー)。これはひとつサプライズお裾分けをしてやろう、という名義の自慢をしてやろうと急に思い至った。
 横でウザそーにしている息子に「セシルからもらえるかもしんねーぞ」とウソこいて(多分兄貴が阻止するだろうとエスパー2)今回は運転手つきのワゴン車で、毎度連絡もしないまま速攻乗り込んできて現在玄関前で。

「ごめんなさいね、今二人とも旅行に行ってるのよ。」
「「はぁ?」」
 あまりに意外な母親の言葉で、二人の野望はあえなく崩れ去った。

 

「りょ、旅行って…今シーズンにか? 珍しいなオイ。」
「この時期に毎年出かけるんですよ。…逃げてるんでしょうけど。」
 友人の母セシリアは、やや遠くを見て軽く溜息を吐いていた。
「? 逃げてるって…」
「ど、どこいっちゃったスか!? いつ帰ってくるんスか!」
 なんだかんだと結構期待していたらしいティーダが食い下がる。と、セシリアはやや渋い顔をして申し訳なさそうに答えた。
「…ごめんなさいね、それは誰にも言うなってきつく言われちゃってるの。あと3日くらいで戻ると思うんだけど…。」
「3日!」
「いつも5〜6日くらい滞在するから。」
 結構な長期旅行らしい。長時間外に出られない弟と、全力でインドア派な兄の組み合わせとしてはちょっと信じられない。
「も、もしかしてカインも一緒っスか!」
「いいえ、二人だけよ。」
「えぇ?」
 しかもセシルの相棒不在とは、ますます訳がわからない。
「…でも、ジェクトさんなら連絡してみても大丈夫かも。電話してみたらいかがです?」
「はあ…」
 徹頭徹尾、全く意味がわからなかった。

 

 だまって突っ立っててもしょうがないので、とりあえず車に戻ったジェクトは友人の携帯に電話を入れている。
「ご不在ですか、残念でしたね」などという運転手の台詞で逆に火がついて、まだ試合終了の笛は吹かれちゃいねえ、最後まであがいてこそ真のエースだ! …などとこの場では全く不必要な意地を張って現在呼び出し中。
 しつこくコールして10回ほど鳴った頃、呼び出し音がぷつりと途絶えた。
『…もしもし… …ジェクトか?』
 出た!
「てめーセオドール! どこ行きやがった!!」
 条件反射で怒鳴っていた。どんだけ自慢したかったんだよ、と冷ややかに言った息子の言葉は聞こえていない。
『お前に怒鳴られる謂れは何もないと思うのだが?』
 怒鳴られた友人は、相変わらず冷徹なまでに冷静である。
「う まあそうなんだけどよ…。せっかくお裾分けに来たのに旅行ってなんだよ、拍子抜けしたろーが。一発くらい怒鳴らせやがれ。」
『また連絡もよこさずにお前は…自業自得だろう。何の分前か知らぬが母さんがいるだろう、渡しておいてくれ。』
「おめーにじゃなきゃ意味ねーよ! つかヤベぇよ!」
 すわ逆チョコか、と勘違いの果て家庭に妙な不和を持ち込んだ日には、この友人にどんなブチ切れ方をされるか判ったもんじゃない。
 と、電話の向こうのセオドールの声が、一段下がった。
『… …まさか、お前もか……?   …いや、違うか。』
「? なんかよくわかんねーけど、セシルに会いたいってティーダもいるんだ。今どこよ。」
 よくわからないことは首を突っ込むかとりあえず置いておくかの両極主義ジェクト。理由は置いときつつも自分の欲求を満たすため首を突っ込むべく、ティーダすらも出汁に使う。
『そうか。ミストだ』
「ミストぉ?」
 告げられた場所は、なんのことはない隣町だった。
 大都会から少し離れた山奥にある避暑地。地域柄なのか霧が多く、通年通して晴れる日が少なく気温の低い場所である。僅かだが温泉も湧いているので、夏場にはちょっとした旅行スポットになる地域だ。
紫外線に弱いセシルにはちょうどいいが、間違っても2月はシーズンじゃないし、第一 5日も滞在するほど遠い場所ではない。
『白竜荘という温泉旅館にいる。何の用事か知らぬが私はあと2、3日帰らん。どうしてもというなら…お前が来る分には構わんが。』
 案外にあっさりと了承した友人に、ちょっと拍子抜けした。
「あっそう…まあついでに温泉もいいか。んじゃ行くわ…」
『あ、まて!』
「あ?」
『……今、私の家の前か。』
「そうだけど?」
『私の居所は誰にも言うな。決してだぞ! その条件のもとでだ!!』
「んなもんベラベラしゃべる理由なんざねーよ。」
『なら良いが…絶対にだぞ!』
 珍しい強い口調で念を押され、電話は切れた。
「なんだあいつ…」
 今日は色々ワケがわからん。が、それはそれとして。
「なんか温泉旅行みてぇだから、俺たちもついでに行くか。日帰り温泉。」
「オヤジと二人かよ! ま、いいか。セシルいるし。」 
 と、珍しく平和に片がついたそのとき。トントン、と車の窓をノックする音がひびいた。二人が目をやると、そこにはザ・眼鏡っ娘という風体の女子大生っぽい娘が一人立っていた。
ほらファンに見つかったじゃねえか、どうするティーダ! などと笑いながら手慣れたジェクトは颯爽と車の窓を下げた。
「あの…セオドールのお友達ですか?」
 道行く女子はジェクト様のファン…では、なかった。
「馬鹿じゃねーの、スモーク窓なのに見えるワケないだろ。」
「…。 ああ、そうだよ友達だけど。」
 やや納得いかなくてついぶっきらぼうに答えてしまう。と、そんな事にはおかまいなく、突如女は車に乗り込まんという勢いで窓にくいついてきた。
「セオドールいますか! いたんですか!」
「うお!? い、いねえよ、温泉旅行だって」
「旅行!!? 一体どこに!!」
「え、え、あーと確かミス…」
 ガツーンと、大音響が自分のデコと窓のへりの間から聞こえ、勢いで舌を噛んでジェクトの言葉はそこで途絶えた。
「知らないッス! 俺たちも帰るところッス! じゃあ!!」
 ダンクとばかりにオヤジの頭を窓の縁に叩き付けたティーダがあわてて窓を閉め、速攻車は出発した。
「いーーーーってぇなティーダ! 何しやがる!!」
「なに早速べらべらしゃべろうとしてるんだよクソ親父!」
「あ、や、聞かれたからつい。」
 しゃべる理由もないが、口を紡ぐ理由もねえ、というところだろう。
「馬鹿進行させてんじゃねーよ! 兄ちゃんがあんだけ言ったんだぞ、セシルに会えなくなったらどーすんだ!!」
「結局そこかよ!」
 とはいえ、今回はティーダが正論だ。なんだったんだろあの女子…と思いながら後ろを振り向くと、女子はなにやら…多分スマホでメールでも打っているご様子だった。ふとその向こうに長い金髪の…ザ・水商売といった風体の女が立っていた。。
眼鏡っ娘の様子をうかがうようにも見える女は、遠目から見てもかなりの美女だった。ジェクトの肥えた目でも、独身なら一度はお世話になりたいと思えるような。

 いつの間に増えたんだよ…モテてんのかあいつ などと思いつつも、やや拗ね気味のジェクトは別に関係ねえやと思い直し、ミストへ向かう事にした。

 金髪の女がにやりと笑ったのは、勿論見えていない。

 

 

 車を二時間走らせた向こうは、見事な田舎町だった。
「町っつか…村じゃねえか。」
 実に見事になーんにもない寒村。その中でちょいとマシな建物が『白竜荘』という旅館だった。建物の裏手からあがるけっこうな湯煙が村の名前の所以らしい。
 時間経過のせいかなんとなく興ざめしたので、ワゴン車の大量チョコは一旦諦めて一部だけをテキトーにひっつかみ、車は夜迎えにきてもらうよう手配した。ティーダに至っては完全に温泉モードで、何かテレビアニメの歌なんぞ歌いながら旅館へと駆け込んでゆく。
「…ま、こういうのもいいか。」
 嬉しそうな息子の背を眺め、ジェクトも後を追った。

「あ、ティーダ!」
「セシルだー! やっと会えたっスー!!」
 フロント…と呼ぶよりは玄関というべき質素な空間で、子供達は感動の再会っぽいものを果たしていた。
「本当に来たのか、お前も存外暇なのだな。」
 古い木製の階段をきしませて、そう言いながら降りてきた巨体は。
「セオドールてめぇ! 言ってくれるじゃねえか、俺がどんだけ…」
「苦労でもしたのか?」
「……いや全然。」
 ただ車に乗っていただけだ。
「一応重ねておくが、事前に連絡もよこさんお前が悪い。ここまで来たのはお前の勝手だ。」
「はいはい正論ゴチソウサマ。とりあえずひとッ風呂あびさしてくんねぇ? ヘンに疲れたわ。」
「やれやれ…話は通してある。上がれ。」
 突然の来訪だったわけだが、なんのかんのと手筈の良い友人で助かる。

 臆面もなく先頭を歩いていたジェクトが、がらりと和室の襖をあける。と、部屋のテーブルの前で座敷童…ではなく女の子が蠢いていた。
「お? 縁起のいい部屋だな。」
「きゃ!」
「あ、リディアありがとう。」
 驚いて飛び退いた少女にセシルが声をかける。ティーダより一つくらい下だろうか。緑色の癖のある髪が印象的だ。
 見ると、テーブルには綺麗に折り畳まれた浴衣が二着。子供用と、大人用。追加でもってきた物と判った。
「もしかしてここのお嬢ちゃんか?」
「あ、はい…リディアです。よろしくおねがいします。」
 緑の少女はちょこんとお辞儀をする。髪留めがちりりん、と涼やかな音を立てた。
「可愛いねえ! ティーダ、ナンパすんじゃねえぞ?」
「親父と一緒にすんなよ! …あ! チョコレート!」
 ティーダの声によく見ると、浴衣の上にはチロルチョコが一つずつ。
「急だったから、これしか用意できなかったんだけど…」
「おお充分充分! ありがとなお嬢ちゃん。」
 そう言ってジェクトはリディアの頭を撫でる。なんのかんのと子供の扱いは慣れたものなのだ。
「そーだ、ホワイトデーに来れるかどうかわかんねぇから、こいつをやるよ。」
 そしてごそごそと適当にひっつかんでカバンに突っ込んできたチョコを一つ取り出す。出てきたのはリボン付きハート型チョコ。けっこうでかい。元々ガチのファンがくれたものなので、無作為に選んでもどれだってご立派なもんだ。
「わぁ… ありがとう!」
 セシルに駆寄り一緒に喜んでいる少女を見て、無邪気に喜ぶ子供はいいねえなどと思いながら振り返ると…

 友人が、 もんっっっ のすごい渋い顔をして 立っていた。

 

「……ジェクトまさか… お前も、なのか…?」
「……は?」

 軽く、殺意を浴びせかけられたような気がした。

 

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テキストファイル作成日:2012年3月14日

ん? 未来か? と一瞬だけ思った、2013年3月11日。
ミストのイメージは俺の中で定山渓の臭いがプンプンするぜ。