やってしまったルビカンテSS 2

 

「ごめんね修理なんかさせちゃってー。」
 地上からセオドールがそう声をかけてくるのが聞こえる。簡素な平屋の山小屋とはいえ、屋根に上ればそこそこの高さだ。私は少し大きな声でそれに答える。
「かまわない。命を救ってもらった礼としては安過ぎる程だ。」
 私は今恩返しのひとつにと、痛みの激しい山小屋の修復作業をしている。
 空は、私の心を反映するかのように晴れ渡っていた。

 

 

 あれから数日、私は寝台の上で彼の治療を受けた。
 試練の山から帰ってきた者はいない。その伝承は伊達ではないらしく、あの「もう一人の自分」から受けた傷は、回復魔法で簡単に治療出来る類いのものではなかった。呪いのように体を蝕むその魔力が抜けるまで、実に7日を要した。
 その間、少しではあるが彼の素性が知れた。
 深い理由がありそうな彼の身の上を根掘り葉掘り聞くような真似はしたくなかったのだが、生憎とそれを避ける程の話術を私は持ち合わせていなかった。二人きりで話をしていると、どうしてもそちらの方面に話が流れてしまう。彼がそれほど嫌そうにするでもなく、平然と答えてのける事もあり、結局そこそこの事情をきいてしまったような気がする。
 曰く、この山小屋は放浪していてたまたま見つけたものらしく、住まうようになってからおよそ2年程度なのだそうだ。年月の経過に頓着がなかったため、おおよその体感時間しかわからないそうだが、ここに来たのが10歳の時だったのは確かなのだと言う。と、いう事は彼はまだ12、3という事になる。年不相応の受け答えと振る舞い、それに比較的長身で確りと筋肉のついた体つきはとても彼をそこまでの若年とは思わせなかった。それも、一人で生きてきた故の賜物と思えば、少し物悲しくもある。
 ミシディアの外れにあった小さな里に住んでいたのだという。両親は亡くなったそうだ。しかし、何故こんな幼子が一人辺境に暮らさねばならないのか、身を寄せられる大人はいなかったのか、表情少なく語る彼に、それを訊ねる事は憚られた。

 お返しに、私は自分の出来事を話した。
「私はミシディアで魔法の修行をしていた。君と同じで家族は…もういない。幼い頃から黒魔法の修練に打ち込んでいた。父が厳しくてね。 氷系を得意とした使い手 だったのだが、反目か、私は火系の使い手になった。両親が他界してからは、白黒問わず修行に明け暮れた。その矢先、試練の山の伝承を聞いてね。挑戦してみたくなったのだ。まあ、それでこのザマとなった訳だが。」
 自嘲を含めて苦笑う。それでも、それ程鬱々とした気分にならないのは、彼が聞き上手、話し上手な為だろうか。とてもこのような所に一人住んでいるとは思えない社交性が、彼本来の生い立ちや性質を伺わせる。愛されて育ったのだろうと思えるのが救いだ。
「伝承って?」
 随分と興味深そうに彼は訊ねてきた。こうして何かに好奇を示すとき、彼はようやく子供らしい表情を見せるのだ。
「うむ。いつからかミシディアには『試練の山にて己を認められたもの、即ち聖騎士の力を得る』という言い伝えがあってな。何時から伝えられたものかは判らないのだが…」
「ああ、きっとそれは最近。嘘だよ。」
 さらり、とそう言ってのけた。
「え?君は…知っているのかい?」
 私は唖然とそう聴き返した。
「知らない。だけどきっと嘘。本当かもしれないけど、多分そんなのにはなれないよ。」
 不思議な言い回しだった。なにかを知っているのか知らないのかよくわからない。しばし私は逡巡した。
 確かに、よくよく考えてみれば当然の反応で、さも当然のように知っていたが故私はなんの疑問も持たなかったのだが、こんなもの実に突飛な話なのである。聡明なこの少年なら嘘と判じてもそう不思議は無いかと思った。
「そうだな。あの山に登る前に君と話していたなら、私も嘘と思い直していたかもしれない。」
 だが、私は聞いたのだ。山頂の石碑と、そこに響いた魂の声。そして試練。もう一人の自分と対峙し、私は…破れた。

「…こうして語ると夢のようだな。あれはアンデットに見せられた幻だったのだろうか。」
 ははは、と誤摩化すように私は笑った。が、見るとセオドールはあの…何かを考えるような、思い出すような不思議な表情をしていた。
「…なにか、心当たりがあるのかい?」
 また開く不思議な間。彼と話をしていると時折こういう事がある。
「ないよ。あるわけないじゃないか。」
 しかし次の時にはあっけらかんとそう答える。確かに、いくら何でも彼が一人、あの山を登頂出来るとはとても思えない。ふいに、セオドールが私の二の腕を掴んだ。なにかと思っていたら確かめるようにぐいぐいと手のひらに力を込める。
「ルーベルって魔導士っぽくない体つきしてるよねえ。」
「そ、それはよく言われるが…急にどうした?」
「お父さんには似なかったんだ。魔導士やめて騎士にでもになった方がいいとか言われた?」
「な…」
 それは、その通りだった。堅物だった自分は、体格と共によくそう言われた。
 最後にあの山に登る事を決意した切欠。それは、心ない同胞のその一言に他ならなかったのだ。

 

「気にしてるんだ。」
 ずきり、と抉られるかのように心が痛んだ。本能的に拳を握った。震える。それは私が幼少の頃から抱えている劣等感だった。
 だが、こんな幼子相手では怒る訳にはいかないと、その常識だけが自分を押し止めた。
「だから自分に負けたんだよ。」
「…え?」
 真っ直ぐ私を見つめ、そう言った。
「いいじゃないか。力のある魔導士、すごいじゃないか。何か問題ある?」
「い、いや…そういわれてしまうと…」
 邪気などひとつもない、純粋な目でそう言われた。私は、答える言葉を持たなかった。
「魔導士が後ろから距離あけて魔法を使うのなんでか知ってる?」
 彼は何時もの大人びた口調で続ける。回転の鈍くなった頭をなんとか回し、探した答えは実に有り体なものだった。
「それは…体力に乏しく、打たれ弱いからだろう…?」
「僕は逆だと思うな。」
「逆?」
「ものには反発力ってのがあるじゃない。魔法だってあんまり至近距離で強いものを使うと、跳ね返りで自分もダメージを受けてしまうし、それ以前に上手くやらないと自分が巻き込まれるっていう間抜けなオチになる。まあ、当たり前よね。」
 私は、ぽかんと口を開けるしかなかった。
「だから、それを避けるため遠くから魔法を使う。すると体力とか力とか必要なくなって、どんどん退化する。」
「ってことはさ。逆にルーベルは近接から魔法を使える魔法戦士になれる可能性があったんだ。それ、凄いと思うけど?」
 戦士、っていうよりは拳闘士ってカンジかな。もう一度手のひらに力を入れ、私の筋肉を確かめるようにしてそう笑った。
「聖騎士だなんて、わざわざそんな鞍替え必要ないじゃないか。誰かに頼んで道筋つけてもらうんじゃない。ましてや親なんかと比較する必要どこにもない。するやつには勝手にさせておけばいい。ルーベルには自分にしか行けない道が最初からあったんだから、それ極めればよかったんだよ。あの山一人で登れるくらい、もう充分強かったんだから。ねえ。」
 そう言ってセオドールは笑った。それはあの山であの声が私に言った言葉と同じだった。しかし、あの時とは違う…己の意志を否定されたようなあの言葉と違い、彼の言葉は私の存在そのものを肯定していた。驚く程、心に深く染み入った。

「……そうだな…。その、とおりだ。」
 目の前に居る彼は悪戯っぽい笑みで笑った。そして、私に清潔に洗われたタオルを手渡してきた。
 何かと思うと、ぽとりと手の甲に水滴が落ちた。

 私はどうやら泣いていたようだった。

 

 

 思い返す。
 命の恩人どころの騒ぎではない。私はこの少年に心も救われたのだ。
 屋根の修復程度でとても足りるものではないのだよ、と、心でだけ呟いて、私は一人笑った。

 その日私は、自分の新たな道を見つけ出したのだ。

  

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兄さんが凄い人なら、それでいい。