私は今、彼を連れて人里に降りている。年端も行かぬ少年が、あんな山奥で一人生涯を終えるような事はあってはならないと思ったのだ。
当初、セオドールは何故か頑に人に会う事を拒んだ。髪とか目とか珍しいから嫌なんだ、とそう言った。言われてみれば彼の美しい銀髪や紫の瞳は他に類を見ないものであったが、目鼻立ちと共に賞賛こそされども蔑視される言われなど無い。なにか言われたなら私が殴ってでもそいつを土下座させよう。そう言うと彼はぽかんと口を開いて、例の不思議な間のあと、漸く首を縦に振ったのだ。
…その理由が本意ではないという事はさすがに鈍い私にも理解できたが、真意を問うのは憚られた。
最低限の生活に必要な物資を買い込む。幸いにして、私にも蓄えは幾許かあった。ミシディアに行くのは彼だけでなく私にも少々憚られたので避け、外れの少し小規模な村で用を済ませている。やはり村人は我々に好奇のまなざしを向けてきた。セオドールは堂々とした普段の彼らしくなくその視線に随分と怯えたが、それは彼自身がどうこうという訳ではなく単に旅人というのが珍しいからだ、と説明すると、ああ、なるほどね…と、ひとつ溜息を尽き、多少の落ち着きを取り戻したようだっ た。聞けば、生まれ育った場所以外の人里はほとんど経験がないのだそうだ。
大した時間のかかる用事は無かった筈なのだが、まだ人に対して随分と警戒しているセオドールを連れての買い物は、予想外に時間を食ってしまった。随分とふくらんだ鞄を肩に掛け天を見上げれば空は赤から黒に染まりかける時間で、これから年端も行かぬ子供を連れて森を歩き小屋に戻るというのは、どう考えても頂けない。幸い、 簡素ではあるが宿があった事は確認していた。
「セオドール、時間も遅くなった。今日は村の宿に泊まろう。」
夕刻になりようやく慣れてきたのか、道端の物々に興味を示していたセオドールは、弾かれたように顔をあげた。
「え!?」
「案外時間がかかってしまった。今から戻っては途中で日が落ちてしまう。今日は宿に泊まって明日ゆっくり出発…」
セオドールは、驚いたように天を見上げていた。視線の先には、微かな満月が浮かんでいた。怪訝に思い彼の顔を見ると、その肌は蒼白といえるほどに青ざめていた。
「ルーベルごめん! 僕帰るよ!!」
「え? どうしたんだ急に…」
「ルーベルは泊ってっていいから! 先に戻ってる!!」
「ま、待てセオドール!!」
止める間もなく、彼は走り出した。まるでなにかに追いつめられたかのように。一瞬の逡巡の間に、彼を見失っていた。酷く嫌な予感が背筋を走った。
失敗した。気を緩めすぎた。いくら人と一緒に居るのが久しぶりだからって喜びすぎだと、走りながらセオドールは自分を叱責した。
まるで時間に気がつかなかった。それより大事な、あの月のことを忘れていた。夜空に浮かび始めていたのは見事なまでの満月。あの声が聞こえる、聞こえてしまう。月の満ち欠けに比例して大きくなる、あの声が。そして月が最も美しく宵闇に輝く夜、あの声は、いつも、自分に――。
月光を背に受けて走る。落ち始めた日は急速に闇夜を呼ぶ。まだ落ちないで、落ちないで―― 祈る声空しく、空には満月が輝いた。
そしてセオドールの体は、ぴたりと走る事を止めた。
あの体のどこにそんなスピードがと思う程、彼とは引き離されていた。だが「帰っている」と言った以上、辿った道筋は間違っていないはず。それだけを信じて 私は走った。息があがる。巨体故の持久力のなさが今は恨めしい。一度息を整えようかと足を緩めた瞬間、どこからか獣の如き絶叫が響いた。
それは、セオドールのものに間違いはなかった。
ブログ掲載用に話割ってたから長さがバラバラ。
この頃のセオドールたんはすごく不安定でアンバランスなイメージがあります。なんとなく。
余談ですが、この部分冒頭オフ本のほうではかなりの加筆修正入れさせていただきやした。時系列がなんかわかりにくい気がして。こちらは未修正バージョンです。なんでってどこをどう直したのか確認するのめんどk