やってしまったルビカンテSS 7

 

「最近、破落戸共が増えたと思わないかルーベル。」
「そうですね。少々不穏な気配を感じるかと。」

 何時ものように人里に出て物資を購入していると、外から魔法の気配がした。最近はすっかり馴染みになった店員を脅かさないよう、努めて平静に私は外に出る。
 それがセオドールの力であることは判っていた。心配もしていなかった。今や彼の魔導士としての腕前は、ミシディアの者など軽く跳び超えるものだと知っているから。
 表に出るとそこにいたのは、腕や腹を抑えた破落戸が3名。大きな音が聞こえなかった所を見ると、極小範囲で冷気の魔法を叩き込んだのだろう。魔力の残滓に揺れる、すっかり伸びた銀の髪が美しかった。
 彼の顔付きはすっかり幼さを顰め端正さを増した。重い人生を踏みしめ歩んだ重厚さのある眼差しも、年と共に新たに得た彼の力強さを引き立てた。温い日々など一日として送らぬ体はがっしりとした筋肉に覆われ、その身長はまさに私を追い越さんとするところ。あれから 1年と少し。成長の早い彼は、もうすでに少年ではなかった。
 ゆっくりと隣に立つと、やはりそこはひんやりと冷気が漂っていた。そしてそう話しかけられる。変声期もすっかり終え、その低く通る声にはある種の貫禄さえ漂う。一体誰が、彼をまだ15もそこそこの少年だと認識するだろうか。まあ、見て年若いのは確かだから、この馬鹿な連中もよもや一瞬で伸される程の使い手だとは露とも思わず、彼に喧嘩を売ったのだろうが。
 しかし、本当に最近はこの手の連中が増えた。出立ちから察するに、山賊の類いが里に下りてきたのだろうと思う。ミシディア等の大きな町に居れば判らなかっただろうが、こうして人里離れた暮らしをしていると、僅かな空気の変化というものにとても敏感になる。魔物の活動も、僅かながら確かに活発になっている。 なにかが起こる前兆ではなければ良いとよく話していた矢先だ。

「去れ。」
 冷酷なまでの瞳で破落戸に命じる。こんな生活をしていれば何度かこのような事もあったが、命までは取らないのが彼のやり方だった。まかり間違って復讐にこようが、彼には何の事なくそれを撃退でき力があるからだ。最もそれ以前に、まるでレベルの違うその気に威圧され、尻尾を巻いて逃げるか地に頭を伏すかがほぼ全てだったのだが。そうでないものは初めから…格の違いに気づいている。
 今回は前者だった。這々の体で逃げる破落戸が遥か遠くから某か叫んでいたが、彼ほどの者が耳にする価値など全く無いものだった。負け犬の遠吠えとは良く言ったものだ。
 ふいに、彼の身長に合わせ、長めに仕立てられた魔導士の外套がふわりと広がった。そこに隠れるように居たのは、4歳くらいの、栗色の髪の小さな少年。首に下げられた水晶がきらりと光を反射した。
 あまりにセオドールが静かだったのでまるで気がつかなかったが、そうか、賊に狙われていたのはこの少年だったのか。金目の物などもっていそうもないから、あの水晶でも狙われたのだろうか。
 セオドールはしゃがみ、少年の頭を撫でた。
「大丈夫か?」
 何が起きたのか理解していないのか、目を丸くしてセオドールを見返す。しばらくの間の後ようやく一度だけ、こくりと頷いた。
「家は、どこだ?」
 少年は小首を傾げ、しばらくしてからようやく村の外れの山を指差した。我々の住む森とは、逆方向だった。普通に考えれば何かの間違いか、自分の家を理解していないかのどちらかだろうが、我々も森で暮らす生活をしている。間違いではないということは、気配で理解できた。
「話しませんね。警戒されているのでしょうか。」
 反応の薄い少年が少し気になった。もしかしたら、強面の私が怖いのかもしれない。そんな事を考えていると、セオドールが私を見て言った。
「多分知恵遅れだろう。お前の顔に怯えてる訳じゃないさ。」
 思わずぐう、と唸った。見抜かれていた。彼の勘の鋭さは年と共に増し、今や心を読まれているのではないかと錯覚する程だ。それも付き合い慣れた私だけに作用する…訳でもないというのが彼の恐ろしい所だ。「人から離れているから人間を客観視出来るんだろう」とよく言うが、それだけで説明しきれないという事は、私と比べ ても明らかだと思う。
「ルーベル、僕はこの子を送って行くが、お前はどうする?」
「用事は済みました。お供しましょう。」
「ありがとう。済まないな。」
 そう言ってセオドールは薄く笑った。最近、彼の表情は出会った頃程大きく感情を表現する事がなくなった。大人になった、といえばそうなのかもしれないが、その変化には一抹の寂しさも過る。
「またあんなのが来るといけない。送って行くよ。」
 しゃがんだまま、同じ目線の高さでそう言うセオドールに、また暫しの間の後、少年は嬉しそうに頷いた。

 

「何者だ! お前達は!!」
 山深く分け入った、その身を隠すかのようにひっそりと存在したその山小屋に居たのは、矍鑠とした老人だった。伸びるままにされ、浮浪者のようになった白髪と深く刻まれた肌の皺を見るに、70はとうに越えていると思われる。老人はまるで似合わぬ大声を張り上げ、我々に鋭くロッドを構えた。
「この家の財が目的か!それとも儂の命か!!」
「落ち着きください翁。我々は貴方に危害を加えるつもりはありません。お孫様をお送りに来ました。」
 あまりの剣幕に、私はひとまず老人を落ち着かせようと試みる。すると我々の後について歩いていた少年が翁に向かって手を振り、セオドールの外套を引っ張るようにしてそちらを指差した。ついてこい、というのだろう。
明らかに心を開いている少年の様子が決定打になったか、老人は漸く疑いを解き、我々を家内へと案内してくれた。

不思議な事に少年はすっかりセオドールに懐いたようで、床に座った彼の膝の上でずっと、老人がつくったのであろう木の玩具で遊んでいる。相変わらず言葉らしい言葉は発せず、セオドールもそう多くの言葉はかけていないのだが、不思議とコミュニケーションに問題はおきていないようだった。
「済まなかったな。孫が世話になった。」
 老人が茶をもってきた。嗅ぎなれた香草の香りがした。このあたりでよく採れるものだ。
「お連れさんはいかがかな。」
 茶の事だろう。
「彼はいいです。お孫さんが火傷をしてもいけない。」
 本当の所は、セオドールにあまり他人を近づかせない為だったのだが。
 この老人も大分偏屈のようだが、おそらくそれはセオドールの方が上をいく。大分人慣れした現在であっても、必要以上に他人と接する事は好まないのだ。その彼があのように子供と親しく戯れているのなら、邪魔はしたくない。
「おまえさんがた、どこから来なすった。ミシディアの者とも思えんが。」
 私の向かいに座った老人がそう言った。瞳はまだ警戒を完全に緩めてはいない。当然だろう。私が翁の立場でもそうする。
「翁と同じです。丁度、反対側の森ですが。」
 余程に意外だったのか、老人は細い目を丸くしてカカカ、と笑い、ようやくその雰囲気を和らげた。

「この子の名は?」
 ふいにセオドールが後から声をかけた。しまった、と私は内心舌打ちする。名前が判らなくては少年を呼ぶ事も侭ならず、かといって本人に尋ねても無駄な事は明らかだった。ならば保護者に聞くより他ない訳だが、いくら待ってもその話題を出さない私に業を煮やしたのだろう。全く、私の気の回らなさはいつになっても改善されない。
「キリエ。キリエ・エレソン、だ。」
「主よ憐れみ給え、か。」
 そう呟いて、少年に向き直った。
「おまえさんは?」
「……セオドール。」
 名乗る事には、まだ抵抗があるようだった。セオドールはぽつりと、何か小さく呟いた。
 老人が2、3度瞬きしたのが視界に入っが、特に何を言うでもなかった。キリエが不意に立ち上がり、セオドールの袖を引いた。セオドールはそれに無言で続いた。
「外に出ている。」
「判りました。気をつけて。」
 そのまま二人で扉の外へ出た。恐らく老人には聞こえなかったであろう呟きは、確かに私の耳に届いていた。

『僕もお前も、名前負けだな。』と。

 

 残されたのは私と老人の二人。さてこうなると、口下手な私はごく一般的…以下の話術しか持ち合わせていない。しかし、この老人に身の上話を切り出すのも少々憚られる。どうしたものかと途方に暮れていると、老人の方から助け舟を出してくれた。
「お前さんは世捨て人には見えんの。何者じゃ?」
 幸いだった。私はそれに答えることで間をつなぎとめた。
「私は、元ミシディアの黒魔導士です。試練の山へ登頂し、命を落としかけた所を彼に救われました。それ以来、彼に師事しています。」
 そう。現在の我々の関係は保護者と被保護者ではない。彼に保護などはもう必要なく、今や私は彼こそを師と仰いでいる。それ以来、私は彼に敬語で話す事が多くなった。「今更なんだよ」と困ったように彼は笑ったが、特に意識するでもなくそうなるのだから、これは私の性分と彼の器の成せる技なのだろう。
「試練の山? 聖騎士か。」
「はい。あえなく試練には敗れたのですが。」
 私は笑った。そう遠い昔ではないはずだが、今となっては笑って話せる懐かしい思い出だ。
「ふん。そんな力、得られるものか。あの山におる者が他人に力を与える義理などあるはずがない。」
 予想外にも、吐き捨てるように老人は言った。
「なにか、ご存知なのですか?」
「…知らん。」
 聞かぬ方がよい、という事だろう。その程度の事はさすがの私でも学習した。もしかしたらこの老人も、あの山に登った事があるのかもしれない。切り替えるように老人は息を吐き、言った。
「あの青年、若いがおぬしが「師事」と言うからには相応の力を持っているのであろう。何故里に降りん。おぬしもどうあれあそこから生きて戻ったのなら、充分ミシディアで名声を得られると思うが。」
 名声、とは世捨て人の割に俗な言葉を使うものだな、とどうでもいいことを思った。それよりも、その問いにどう答えるべきかの方が重要だ。
「彼は、心に大きな傷を負っているのです。」
「傷?」
 怪訝そうに、老人が返した。
「はい。申し訳ありませんが私の口から多くは語れません。おそらく全てを知ってもいません。ただ、ご家族を一度に亡くされたと。」
「ほう。」
「よくある話、と切って捨てる事も出来ぬ状況だったようです。ここ数年で随分と良くはなりましたが、未だ彼は人を避けております。いずれ傷が癒えた暁にはと、思うのですが。」
 そこまで語り、私は茶を啜った。一息つき、続ける。
「お孫様と出会えたのは僥倖だったかもしれません。あのように幼子を慈しまれる方とは思いませんでしたから。失礼ながら、お孫様にも良い影響が出るかと。」
 差し出がましいか、とも思ったが、予想に反して老人は僅かに頬を緩めた。
「そうじゃな。儂ひとりではあの子をどうしてやることも出来んからな。」
 悲しげな笑みでもあった。
「お孫様は何故…ああ、申し訳ありません。話しにくい事でしたら、お答えいただかずとも結構です。」
 まただ。つい勢いで要らぬ領域に立ち入ろうとする癖はちっとも治っていない。
「ははは。良い。おぬしに話させたんじゃ。儂も話さねば不公平であろう。」
 そう笑って、老人はとつとつと話し始めた。

 儂と息子は人殺しなのだ。
 その一言から始まった。罪もない人を殺めたのだという。ほんの些細な切欠で善意の固まりのようなその人を、無抵抗なその人物を、息子を含んだ数人で寄ってたかって殺したのだと。
 驚いた。そのような人物にはとても見えなかったからだ。
「今となっては何故、あんなことをしたのか判らぬよ。ただ、あの時は儂らの意見を良しとせぬあの男が憎くて仕方がなかった。あの男が居なければ、儂らの思いは遂げられると、何故だかそんな風に思ってしまったんじゃ。」
 老人は、深く息を吐いた。
「無論、里にはもうおられなんだ。あの人は慕われておったからの。あの人を慕う人間が集まって出来たような里じゃったからな。」
「…貴方は、何故そこに?」
「……儂の、師でもあった。」
「…なんと……!」
 最も、あの里であの人に魔法を師事しておらぬ者など、存在しなかったがな。そう言って自嘲するように笑った。
「ぞんざいに扱われた。そんな嫉妬や怒りも、あったのかもしれん。」
 茶の入ったカップを手に取った。が、それは口に運ばれる事なくその場に留まる。私は、戸惑いながらも尋ねた。
「息子殿は…?」
「殺されたよ。そのすぐ後にな。」
 伏した目で、そう応えた。
「仲間割れじゃ。因果応報というより他ない。師の残した魔導書をめぐって争いが起きてな。」
 その目は、遠い過去を思い出す目ではない。昨日の、昨夜の出来事を思い出す目だ。セオドールと同じ、あの遠くて近い、癒えぬ過去を思い出す目。
「その直後、あの子が生まれた。母親は産後の肥立ちが悪くてな。死んだ。」
 つまり、あの幼子は両親の顔を知らずに過ごしてきたということか。もしかするとセオドールには…それが判ったのかもしれない。
「儂はあの子を連れて逃げた。恐ろしくてな。この子も殺されると思った。逃げて逃げて、ここに来た。」
 カップが、かたかたと音を立てた。震えていた。
「あの子が生まれてようやく、師の言葉が正しかったのだと知ったわい。魔法を争いの道具に使うなど、間違っているとな。そういう優しい人だったんじゃ。だが儂は怖かった。必ず復讐に来ると思ったんじゃ。あの人は慕われていた。そしてあの人にも家族があった。…妻の腹には子も……いた。」
「なんと…。」
 それ以上は、言葉が出なかった。
「儂や息子は殺されても仕様がない。だが、あの子だけは無実だ。無実なんじゃ。だが、生まれたあの子はあのように障りをもっていた。…関係のない話とは わかっている。だが……呪いか、とも、思うわい。そう思えばもう恐ろしくて…里には降りられん。」
 老人はそのまま、沈黙した。私も、何も声をかけられなかった。
 しばらくたって、ようやく老人はカップの茶に口をつけた。私もそれに続く。すっかり、温くなっていた。
「すまなんだ。気分を悪くしてもうたな。」
「いえ、私のほうこそ差し出がましい真似を致しました。申し訳ありません。」
「よせ。懺悔をさせてもらったようなものじゃ。感謝する。」
 外から、子供の笑い声が聞こえた。キリエだろう。微かだがセオドールの声も…確かに聞こえる。
 あの子の年は高く見積もっても5、6歳だ。ならばこの老人、見た目ほど老いてはいないのだろう。老いさらばえたこの姿が心労のせいなのだという事は、想像に難くなかった。
「苦労…なされましたな。」
「自業自得よ。」
「しかし、貴方は充分に苦しまれた。私などが口を挟むものでもございませんが、その、キリエの為にも…先方のご家族に誠意を見せる事ができれば…少なくとも、翁の心にはけじめがつくのではないでしょうか。」
「離散したと聞いた。死んだとも…聞いたわい。」
「…そうですか。失礼を致しました。」
「よい。」
 翁は窓の外を見た。私もそれに引かれるように見る。西日が傾き始めていた。
「どうじゃ。汚い家だが今日は泊まってゆかれるか。」
「いえ。…多分、帰ると言うと思います。」
「そうか。なら、また来てくれ。」
「はい。」
 私は立ち上がり、深々と礼をした。

 

 案の定セオドールは帰ると言った。寂しいのか泣いてすがるキリエに「また明後日来る。」と言って。
 明日、とは言わなかった。道程の長さを考えるとそれは現実的ではないからだ。つまり嘘は言っていない。本当に約束したのだ。

 帰り道、すっかり日は落ちてしまった。空には下弦の月と上弦の月が並び、美しく輝いている。
「それにしても、貴方があれほど子供と親しげに遊ぶとは思いませんでしたよ。」
 嬉しかった。こんなにも健やかに幼子を慈しむ、その心を取り戻した事が。私は微笑み、もう殆ど身長の並んでしまったセオドールを見る。セオドールは…月を見ていた。
「………弟が」
「え?」
「……生きていたら。あんな年だなと。」
 泣き出しそうな目で、遠くを見ていた。
「…済まない。」
「いい。好きで遊んだんだ、楽しかったよ。」
 そう言ってふわりと笑った。久方ぶりに見る、屈託の無い微笑みだった。
「約束しちゃったからな。また行かなきゃ。」
 柔らかく微笑んで、彼はそう言った。少しだけ。少しだけ心が癒えた…それはきっと、間違いない事なのだろう。
「…そうだな。」
「あ、敬語が取れた。」
「! …そうですね。」
「いいって別に!」
「いやその、…なんとなく。」
「解らんヤツだなあ。」

 そう言って笑うセオドールは、久しぶりに幼い頃の瞳をしていた。私も久しく忘れていたあの頃の気持ちで、笑い返した。

  

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そもそもこのSSを書きはじめた切欠は「セオドールからゴルベーザって性格に落差ありすぎじゃん。人生の中間点はどんなだったんだよ」でした。
このあたりからそのへんのテーマにチャレンジですが。…ですが。

なんのことはなく、飛んでしまっている希ガス_| ̄|○

この頃のルビカンテは保護者モードはいったりお弟子さんモード入ったリ、ケースバイケースで対応を使い分けしてるイメージです。
あと兄さんはキリエに軽くせいしんはを使ってコミュニケーションしているのかもしれません。

H25.3月追記
書庫改装にあたり調整のため結果読み直してる状態なうなんですが、すっかり兄さんの「僕」口調に慣れたどころかギャップ萌えを感じるように調教された俺がいたので、「僕」だった一人称を「俺」に変更しました。あれ…テーマ…?