やりたい放題バルバリシアSS 3

 

 自由になりたかった。風のように。
 だからこの町を捨てた。上辺すらも淀んだ肉欲だけの世界に、嫌気がさしていた。快楽以外が人間を繋ぐ、そんな絆が本当にこの世に存在するなら、まだ自分は生きて行けると、そう思った。
 だけどやっぱりそんな世界は無いのだと知った。そして、戻った。ならば取り繕うことをしないこの裏びれた町の方がまだマシだと思ったから。
 そして自分は、自由を失った。


 あんな話をしたせいだろうか。夢の中で、久方振りにあの頃の気持ちを思い出し、アリシアは目覚めた。
 目元に違和感を感じ触れると、僅かに濡れた感触がした。どうやら自分は泣いていたらしい。

 ふと横に目をやると、そこに男は居なかった。
 寂しい、という感傷を、アリシアは久しぶりに思い出していた。

 


「あー、お客さん発見。」
 昼は喫茶店、夜は酒場。そんな店が酒場になるには随分と早い時間。まだ昼の顔を見せているその店の隅に男は居た。偶然を装って声をかけると、何処を見ていたかわからない紫の瞳が、自分の方を向いた。どきり、とする自分に気がつかない振りをして向かいに座る。
「向かいいいかしら。ってもう座っちゃったけど。」
「構わんが、自分の分は自分で払う事だ。余剰な現金は持ち歩いていないのでな。」
「つれないわねぇ。じゃああたしが奢ってあげようか。お金なら余してるんだ。」
「必要無い。自分の事は自分で始末を付ける。」
「ホントにつれないわねぇ。」
 淡々とした受け答え。だが、不思議と冷たい感じはしない。自己に厳しい人間特有の堅さも感じない。中身の読めない不思議な人だと思う。その思考を誤摩化すように、アリシアはカウンターに座るマスターにいつもの朝ごはんね、と告げた。髭面の人の良さそうなマスターは「今日はずいぶん早起きだね。」と笑ってそれに答えた。太陽はそろそろ正午を指す高さなのだが、確かに彼女に取っては奇跡的な早起きだった。
 マスターと短いやりとりの後、男の方を見た。男は最初に自分を見たきり、後はずっと手元の本に視線を落としている。自分にはさっぱり解読不能なそれは、どうやら魔導書らしい。
「お客さん魔導士だったの?」
「そうだな。分類するならそちらが近くなるか。」
「意外。いや、そうでもないか?」
 こんな筋肉質な魔導士見た事ないが、性格を考えると確かに合点はいく。
「その身体なら剣振ったって相当いけるでしょ。パーフェクトソルジャーってカンジ。ちょっとカッコイイじゃない。」
 茶化すと、男は上目遣いにこちらをみた。
「生きるために手段など選んでは居られまい。」
「確かにね。」
 上辺だけではない、実の入った言葉だと思った。それに関しては心から同意するのでアリシアは笑って返す。冷たそうな言葉と裏腹に男の瞳は存外柔らかい。どんな人生だったのか少し気になったが、気になるだけで押しとどめた。そこに踏み込まないのはこの商売暗黙のルールだ。話しても、訊ねない。
 無論、今まで他人の人生などに全く興味はなかったから聞いた事などなかっただけなのだが、もとより彼女を目の前にした男達は聴きもしないのに勝手にべらべらと己の事をしゃべったから、あえて訊く必要性もなかった。
この男以外は。
 急に思い至る。だからアリシアは、「商売を抜いた形で対等に会話をする」ということに酷く慣れがないのだ。
 自分の中で起きた予想外の珍事に、さてどうしようかと、少し逡巡した。
 ふいに、男が本を閉じてこちらを見た。
「この時間は、お前にとっては随分と早い時間なのか?」
「え?」
 先のマスターの言葉を拾ったものだと気がつくまでに、暫しの時間を要した。
「あー。うん、夜の商売だからさ。太陽が出てる間は大抵寝てるのよね。」
「成程。今日は何かあったのか。」
「なにって」
 それを訊ねられると少々返答に困る。あまりに自分らしくないので。
「別に。トイレ行こうと思って起きたらお客さんいないからさ。なんか目ぇ冴えちゃって。ちょうどいいからたまには日に当たっておこうかなぁと思って歩いてたら、見掛けたの。そんだけ。」
 本当は、泣いて目覚めて、隣にアンタがいないのが寂しくて会いたくってあてもなくふらふら探してた。なんて、言える訳がない。 そんな感傷、自分からは一番遠い。遠くなくてはいけない。もうひとつ言うと、外から偶然見掛けられる位置にこの男は座っていなかった。意識して覗かなければ見つけるのは無理だ。
 アタマのいい人だし、突っ込まれるかな、とも思ったが、ならば「ここ行きつけの店だから」と返せばそれで済む。それは本当なのだ。ここにこの男が居たのは彼女にとって極めて僥倖だった。さて、来るなら来いとアリシアは心で身構えた。
「そうか。」
 完全に賺された。思わず挫けそうになって崩れたのを、頬杖をつき誤摩化す。聞かれないのならそれでいいのだが、構えている所をこうもハズされると逆にドキドキするのは何故だろう。
 男はその一言だけ返してじっと自分を見つめてきた。アリシアは頬杖のまま気怠そうにしかし確りと見返した。男から目を逸らす、なんてこと「女王」にあってはならない醜態だからだ。夕べは自室の中だったからまだしも、ここは外の世界。何があっても「女王」の誇りは貫き通さねばならない。

 ふと、男が僅かに口角を緩め笑った。

 

 見透かされた。
 そんな馬鹿げた考えが一瞬頭をよぎって行った。

 そんなワケがあるか。

 

「時間は開いているのか。」
「チョー暇だけど。なに、遊んで欲しいの?」
 アリシアは女王の笑みで男を見下す。見下そうとした。
 しかし、男はまるで揺るがなかった。
「この街の案内を頼めるか。」
「案内ぃ?」
 出てきたのはまたぞろ予想外のお願いだ。夕べに引き続き、またこれで彼女はリズムを狂わされた。あやうく女王の皮が剥がれ落ちそうになるのを、危うい所で引き止める。
「何か不都合があるのか。」
「や、別にないけど」
 それ、このあたしに頼む事? と出かかる。むしろ他の男ならとうの昔に言い放っている。怒号と、平手の一発と共に。
 だが、他ならぬアリシアの心がそれを止めた。どうあれ、この男は自分と時間を共にする事を望んでいるという事実を前にして。
 一緒に居たかった。理由はわからない。わからないけどどうしても居たかった。理解不能な自分の感傷をアリシアは強引に、無意識の深淵へと沈めていた。
「いいけど、ロクな案内しないわよあたしじゃあ。ろくでもない事しか知らないから。」
「それで良い。」
 僅かだけれど、男は笑っていた。喜んでいるのだろう。そして続けて言った。
「礼代わりだ。ここの食事代は私が持とう。」
「マジで!?」
 思わぬ台詞に、柄にもなく大喜びしてしまい慌てて口元を抑える。男に奢られるなんて彼女に取っては至極当然の出来事だというのに何と言う失態。ごまかすように急いで振り返り、カウンターに向かい叫んだ。
「マスタぁー。チョコパ追加してー。」
 努めていつもの気怠そうな声でそう言った。はいよー、という声を聞いて内心ひと息つき、向き直って女王の目線で男を見ると。男は、テーブルに肘を着き、手の甲で頬杖をついてじっと自分の方を見ていた。静かに、とても冷たい目で。
「…自分で払うわよぉ。」
 完全に、女王の貫禄負けだった。


 やはり見透かすかのように、男は口角を緩め笑った。


  

 

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同じ「風」をテーマに持ってきても、バッツとこれだけイメージ変わるってすごいな。
でろーんとしたやる気のない喋り方が、なんでか素のバルバリシアのイメージなんだ…。原因は自分でもよく分からない…。
もちろんモード切り替わったら別人のようにバリっとするわけなんだけど。

ああ、ギャップ萌えか。これが。

それにしても現金を持ち歩くゴル様は似合わないな。この方は宝石現物払いでいっていただきたい