ジェクトの案内は正直楽しかった。
完全に、地元民しか知らない隠れスポットめぐりだった。
愛想は悪いが腕のいい、土産物職人の工場。
メジャーな観光客ウケはしないが、地元独特のクセの強い食べ物。
アクを抜かないそのままの、独特の風味をもった酒。
一見お断りの地元民御用達食堂。
裏路地の小さなファーストフード露店。
人混みが嫌いで、その上子供の頃から大人達に混じったせいか、口調も味の好みも渋くなったセオドールに、そのコースは意外なほどマッチした。
が。
「…お前達はどういう胃袋をしているのだ…。」
容量が、限界だった。
「なんだよ、もう限界かあ? ガタイいいクセに食細ぇなあおめぇ。」
路地裏の壁に手を当てて胃を押さえるセオドールに、ジェクトが呆れたような声をかける。
「お前達の燃費が悪すぎるんだろう…! どれだけ食えば気が済むんだ…!!」
反論にも元気がなかった。
「取材は戦争だかんな。食えるときに食っておかなきゃ! これも仕事ってやつだ!」
「戦場ジャーナリストにでもなるつもりか貴様は…うっ」
自重も、もうどうでもいいと思えた。ジェクトが腕を組み、ため息をつく。
「あー、じゃあしょうがねえ。もう2,3件あったんだけど、路線変更すっか。」
「私を殺すつもりか…」
「しねーよ! 帰れなくなるじゃねーか。ちょっと消化しようぜ。」
「お、いいね。その方が次の味も美味いってもんだな!」
そう言って二人が歩き出す。まだ食うつもりかこの化け物ども、と思うも、消化しないとどうにもならないのは事実だった。一人で帰るにも、裏道に入りすぎてもう帰路は分からない。渋々セオドールは二人について歩き始めた。
「お―――!!なんだこりゃすげ―な!!!」
町の中心からはやや離れた…森というには密度が足りないか。林だ。方向的には戻ってきたような気もするが、吐き気と闘いながら歩いてきたセオドールにはいまいち判別がつかなかった。
夕刻。夕日の木漏れ日を浴びて、海の町ビサイドとは思えない美しい緑の景色が眼前に広がっていた。遠くに見える海と、夕日と、緑のコントラストが見事だった。吐き気もすっかり収まるくらいに美しかった。
「いいだろう。海ばっかじゃないんだぜビサイドは。」
「いいよいいよ! こりゃすげーぜ!!!」
ラグナが必死になってシャッターを切る。
「いやー、俺実はこういう景色写真ってのが一番好きなんだ! でもほらよ、こういうのって新人がぱっと出してほらいいでしょっつってもなかなか通んねーんだ よ話題性に欠けるし! 大体そういう特集の雑誌って、名前売れてるカメラマンが撮るから余計だよなー。だけどこりゃいいぜ! ビサイドにこれはねーわ! あー くっそ、スコールとエルとレインも連れてくればよかったぜ!マジ綺麗だこりゃ!」
景色写真じゃなくて風景写真だろう。喋りながら撮ったらピントがずれるんじゃないのか普通、どっちかにしろ。
…と、思うのが精一杯のセオドールだ。
「だーっはっはっは! 気に入ったなら明日にでも来りゃあいいさ! 昼間もいいもんだぜ! この先をずっと散歩すりゃあ宿に…」
「お! どっかに出ンのか!?」
「と、言いてぇんだが、今は立ち入り禁止。」
「なんだよぅ」
ラグナがコケた。いちいちアクションの大きい男だ。
「なんかよ、半年くらいまえに地盤…チン◯だか」
「沈下だ」
「ああそれ沈下。しただかって、あぶねえから立ち入り禁止になったんだと。ンだからここまでが限界な。」
こんな時にそんなもので一々突っ込ませないでくれ頼むからと、心からセオドールは思った。写真を撮り終えたラグナが頭上に腕を組む。
「なーんだ、残念だな。んでもなんでまた。」
「…このあたり、古くは湿地帯ではなかったか。地殻変動でその上に柔らかな土が乗っているから、そもそも地盤が緩い。生活用水のを組み上げかなにかで、沈下したのだろう。自然崩落かもしれんが。」
ちょっと知識を刺激されたので、自分を奮い立たせるために解説をしてみた。ここまできたら、黙っているのも馬鹿らしい。
「…詳しいなおめぇ…。なんでビサイドの地理なんか…」
「昔何かで読んだ覚えがある。情報源は忘れた。」
「おめぇの知識範囲も謎だな…。」
「そこの大ジャーナリスト様の守備範囲程ではないだろう。」
「へー。なるほど、いい話聞いたぜ。」
揶揄されたジャーナリスト様は、お構いなく今の話をメモに取っていた。まあ、参考にされて悪い気はしない。
「…記事に使うなら裏を取れよ。」
「お、おう!」
…適当に使おうとしていたな。
セオドールが楽になった胃ではなく頭を抱えたその時だった。
「ク ソ オ ヤ ジ ぃ ぃぃいいいい!!!! 死ね――!!!!!」
「うぼぁ―――――!!?」
何かが、流星のごとくジェクトの背にケリを入れた。何かとか、言うまでもなかったのだが。
「…ティーダ…?」
完全にノックダウンしたジェクトの代わりにセオドールが訪ねる。その後にもう一人少年がいた。
「おお!スコールじゃねーか、どうしたあ!?」
浜辺で別れたはずのラグナの甥、スコールだった。
「…携帯の充電を忘れた馬鹿のおかげでムダな苦労をした。」
「何!? どこのどいつだそれは!」
ラグナの額に、鋼の刃のごとき手刀が叩き込まれたのを、セオドールは見た。
「何ッしやがんだこのクソガキ様はよ――!!!」
甥っ子に土下座してあやまるラグナを背に、ジェクトが復活を果たす。
「うるせーよ! もう親父なんか絶対アテにしねー! してなんかやるもんか!!」
ティーダが涙ながらに叫んでいる。
「は!? 俺が一体何したってんだ‥」
「待てジェクト。」
妙な雰囲気に、セオドールが親子に割って入った。そしてティーダの前に膝をつく。
「…何かあったのか?」
可能な限り、優しく尋ねた。
するとティーダは目に大粒の涙を浮かべ、ついに本格的に泣き出してしまった。
「うあああああん!! セシルが、セシルがああああ!!」
背筋に悪寒が走った。血の気も全部引いた。
怒鳴らなかった自分を偉いものだと、むしろ褒めてやりたくなった。
夕刻になり、すっかり日は傾いた。
縦穴の下に直射日光は届かなくなった。狭い穴の中セシルは横向けに、カインは真っ赤に火照った背中を地につけて横になってる。水気の多い湿気った土が、火傷のようになった背中に心地良かった。
「…カイン、だいじょうぶ?」
セシルが弱々しく訪ねる。
「お前の方が心配。」
カインはなるべく強気に返す。
「僕は大丈夫だよ、カインがずっと守ってくれたから。」
微笑む姫君の言葉を、カインは素直に嬉しく思う。だけど儚げな表情で、本当は相当辛いのだということもわかる。それに、このまま夜になってしまったら今度は寒くて凍えてしまう。ひんやりとした土が仇になる。どうしたらいいだろう。
策なんかなにもなかった。ティーダが戻ることを祈るしかなかった。
ふいに、手になにか触れた。セシルの手だった。
「ね、カイン。ぎゅってしてて…」
寂しそうな顔で笑った。ああ、セシルも心細いんだと思った。
なるべく寂しくないようにと、カインは身体を移動させて、頭から包み込むようにセシルをぎゅっと抱きしめた。
このまま死んじゃっても、そんなに悪くないか。
そんなことを、思いもした。
早く来いよセオドール、この馬鹿兄貴。セシル、つれてっちゃうぞ…
「おー、これか! このシャツナイスだぜ、すっげぇわかりやすい!!」
不意に響いてきた聴き慣れない声に、カインは眼を開けた。重だるい身体を無理やり奮い立たせて頭上を見上げた。
夕日に小さな金色と…大きな銀色の髪が煌めいていた。
「…カインか!」
ああ、やっと来た。おっせーよティーダに…セオドール。
思ったけど、口には出なくて手だけ振って合図した。
「にいちゃん…!」
「セシル無事か!!」
気がついたセシルが涙まじりの声を上げる。セオドールも逼迫した声でそれに答える。
「うん、だいじょうぶ…!」
「よかったぜ! 今助けてやっかんな!」
ジェクトが身を乗り出す。と、そこから二人の頭上に土が落ちてきた。
「わ‥!」
驚くセシルをカインが庇うように覆いかぶさる。眼を開けると、セオドールがジェクトにラリアットをブチかますのが端だけみえた。
「この馬鹿が!地盤が弱いのだと説明しただろうが!! そんな重量で縁に寄るなバキューム胃袋! 絞め殺すぞ!!!」
「うげぼ! がはゴホ…! マジこええよおめぇ!!!!」
「まーま、落ち着けおちけつって!!」
本気の大人たちの殺し合い(一方的だが)となだめ合いに、ティーダとスコールは言葉をなくしていた。
「…俺たちよりひどくね?」
「…だな。」
「フチに寄れないか…じゃ、こいつの出番だなっ!」
ひとまずセオドールを宥めすかしたラグナが、ごそごそと取材バックを漁り始めた。
「でれれれってれー! ロープー!!」
場違いに明るい声が高らかに響いた。
「済まんがスコール、殴っていいか。」
「問題ない。」
「訊くだけ冷静になったのは助かるけど、いちおう後にしておこうぜ。あと甥っ子も止めようぜ。」
珍しくジェクトが突っ込んだ。
そうこうしている間に、ラグナは穴のちょうど真上、張り出した背の高い木の、かなり上の枝まで器用にロープを投げつけた。錘のつけてある先端が、振り子の原理でこちらに戻ってくる。それをラグナは捕まえた。そして木の幹を経由して引掛け、セオドールに渡す。
「じゃ、子供たち引き上げてくるから、こっち持っててくれよな。頼むぜ!」
そう言って軽やかにウィンクを決めた。やりたい事は理解した。
「……ロープだけ垂らせば良い気がしなくもないが、お前まで行く必要性があるのか?」
「…・・・ ・・・だってほら、ふたりとも大分疲れてるしよ! 大人がいた方が安心すっだろ。決してその方がカッコイイからとかじゃないぞ!」
「済まないが、次の機会にこれを手放しても良いだろうか。」
「問題ない。」
「だから後にしておこうぜ、っつか次なんかあったら困るっつーの。」
今度はティーダが突っ込んだ。親子よく似たツッコミだった。
とりあえず二人が弱っているのは確かだから、ラグナの案に乗ることにはした。
「行くぜ!デスペラードおぉぉ!!」
「飛び上がるな!! だからお前は戦場にでも行くつもりなのか! なんだそのマシンガンのオプションは!!」
頭上から聞こえてくる場違いな明るい声に、あー、にいちゃんお友達増えたんだ、よかったなあなどと暢気なことをセシルは思ったりしていた。
不安はすっかり消えていた。
ばきり
と、乾いた音がしたのは、その直後だった。
「おわあああ!!!!」
突然の超重量に、ロープを握っていたセオドールとジェクトが前に引き摺られる。あわててティーダとスコールが二人の腰にしがみついた。
回していた木の幹の手前で二人の移動は止まった。
穴の中では、素早く避けた二人の横で、膝までラグナが埋まっていた。
「…馬鹿が増えた…!!!」
搾り出すようにセオドールが呟いた。
「増えたってなんだよ増えたって! もう別にいるみたいに言うんじゃねえ!」
「おまえだこの脳筋馬鹿一号!!!」
もう遠慮も自重もしていなかった。
「…ごめん…本当に…。」
スコールがうつむいて泣いていた。
「親父は…埋めていいから…。」
ティーダも泣いていた。
「いや、お前達は悪くない…。」
その頭をセオドールは、とてもとても優しく撫でた。そしてとりあえず、助けを呼ぼうと携帯電話で110番に連絡を入れた。